2009-05-07

福音へのこだわり。

今日はまた雨でした。
でも、朝と午後一時にわか雨で、
昼間と、夕方から夜にかけてはいい天気でした。


気温もソコソコ上がりました。


明日も今日みたいな天気のようです。


今日は隔週の我が家での家庭集会。
今日も、いろんな方々が来られて、とてもよい集まりでした。
今日来られたお一人一人に神様の語りかけがありますように。
今夜も、主が心に語ってくださいますように。







この部分は、音声認識メールというソフトで入力しています。



iPhoneに向かって話すと、それを文字にしてくれます。うまくいくときは面白いくらい上手くいきます。でも、うまくいかないときは、何度やっでもうまくいきません。

それがまた面白いです。

時々使ってみようと思います。

ここからはPC。でも、この数行の認識ほぼ100パーセント正解。


なかなか優秀です。

さて、昨日の聖書。
昨日は、エペソ3:1-12。
「それは、異邦人が、福音によりキリスト・イエスにあって、わたしたちと共に神の国をつぐ者となり、共に一つのからだとなり、共に約束にあずかる者となることである。」6節。



パウロの「奥義」はユダヤ人と異邦人が、イエスにあって一つになること。
やはり「イエスにあって」というのがポイントなんだろうと思う。
今「イエス」にこだわることが、人々にとってのつまずきになることがある。
「そんなに、『イエス』を強調しなければ、もっと多くの人々に受け入れられる」と言うことが言われたりする。でも、私にとって、「イエス」を抜いてしまうのは、神様の愛を安っぽいものにすることなのだろうと思う。
あえて、イエスの十字架がわたしたちの救いなんだということにこだわること。
狭いと言われようが、排他的だと言われようが、
イエスがなくなってしまったら、イエスのことにこだわらなかったら、
それは聖書への裏切りだし、神の愛を安っぽく提供することになるだろう。
どんなにそこに人が集っても、それはむなしい。
どんなに仲良くやっていても、むなしい。
どこまでも、イエスにあって、わたしたちが神に結ばれ、
お互いに神によって、近づけられる関係に生きていきたい。
主よ
イエスに、十字架に、福音に、こだわります。
このイエスによって、私はあなたの愛を知りました。
この十字架によって、愛を知りました。
どうか、この福音の力を大胆に語る者としてください。

No comments:

Post a Comment