2009-10-17

賛美を支えるもの。

今日の2回目の更新。


今日はまたJOYJOYシンガーズの練習。
いつもいつもやりたいと思ってきたことがありました。
それは子供たちに神様の愛をつたえること。
JOYJOYシンガーズはただ、歌のグループではありません。
神様の愛を歌う、神様の素晴らしさを歌うグループです。
ですから、子供たちが神様の愛を知って、心からあふれるものを歌って欲しいのです。


歌を歌う楽しさとか、みんなで一つのものを造り上げる喜びとかもあるでしょう。
でも、それがJOYJOYシンガーズの中心的な喜びになって欲しくないのです。
何よりも、神様の愛されている喜びで満たされて、歌って欲しいですし、
神様の素晴らしさを歌う喜びを経験して欲しいのです。


それで、今日はイエスの十字架の紙芝居を子供たちの前でやりました。
一生懸命、子供たちは聞いてくれました。
そして、人々がイエスを葬るところで終わっていたので、
復活の話は次にしようと「この続きはまた今度・・・」と言ったら、
「えー!」と声が挙がりました。
本当に神様の愛に子供たちが感動して、歌うことができますように。


皆さんも是非、祈ってください。


さて、昨日、16日(金)の聖書。
昨日はエレミヤ20:7-18。


「私は、『主のことばを宣べ伝えまい。もう主の名で語るまい』と思いましたが、主のみことばは私の心のうちで、骨の中に閉じ込められて燃えさかる火のようになり、私はうちにしまっておくのに疲れて耐えられません。」9節。

この御言葉が心の中で燃える、という感覚わかります。
「語らせてください~!!!」という感じ。
それは自己顕示欲ではなくて、
ただただ、主の素晴らしさ、主の力、主の主権を語りたくて、
主の愛、主の憐れみ、主に従う者の祝福を語りたくて、
しょうがない、という感覚です。

神様があがめられてくだされば、それが一番幸せです。
それが一番の喜びです。

「ハレルヤ」「主は素晴らしい」この言葉を聞くのが喜びです。

でも、そのためには自分が恵まれなければ、
自分が恵みを受けなければなりません。

まず、御言葉を語っていただきたいと思いました。

主よ、
まず、あなたの御言葉による喜びを与えてください。
他のものではなく御言葉による喜びを与えてください。
それを大胆に語っていく者とならせてください。
もう一度、このエレミヤと同じ経験を与えてください。
明日の礼拝の時も、その経験を与えてください。

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