2009-10-12

どんなティーンになるのか・・・。

今夜は余り冷え込まない、と書いたのですが、
そんなことはなくて、今は夜中の12時前ですが、
6.9度まで下がっています。
この調子だと、明日の朝はまた3-4度でしょうか?


明日も肌寒い一日になりそうです。


今日はColumbus Dayというアメリカ大陸を発見したコロンブスにちなんだ祝日。
子供たちは半ドン(死語?)。
そして、のんちはフルで仕事。
わたしは元々の週休とぶつかって、
いつもと変わらぬ月曜日。


で、昼過ぎ、サキが学校の帰りの車の中で、
「Justice、今日まで40パーセントOFFだよ。」ってまるで主婦のような発言。
続いて「ママが帰ってきたら、買い物行くんだ」だって。
でも、今日は来客の予定があり、のんちが帰ってから、買い物はあり得ない。
その話をすると、
「じゃあ、ママが帰ってくる前!」・・・え、誰が連れて行くわけ?


・・・ということで、行きました。
Justiceという名前のPreteenのための店。
そこで、お店の中を走り回って、
「一つだけだよ」という言葉に従って、何とか一つお気に入りを見つけようと、一生懸命にShoppingをしているサキの姿に、3年後、5年後はどうなるんだろう・・・ってちょっと不安になりました。


でも、選んだ服はとてもセンスがいい。
何とか買ってやりたかったのですが、残念ながら、サイズが「今は何とか大丈夫だけど、来年はもう着れなくなっちゃうね」というのしかなく、あきらめて、30分くらい悩んだあげく、結局1冊のDiary帳に決めました。


でも、ホントにこれ、おしゃれに興味のある子供たちや、子供たちを着せ替え人形のようにしたい親にとっては、もう、たまらないでしょうね。いくらお金があっても足りないんじゃないかと思います。レジを待っている間には、ブーツはUGG、おしりにはアバクロのロゴ、そして、肩にはCOACHのバッグという全身ブランドものでそろえたおこちゃまもおいででした(シャツのタグも確認してやりたかったですが、さすがにそれはできなかったです)。


高いものではなくても、上手に着こなすティーンに育てようとまた一つ静かに心に固く誓ったオヤジでした。


さて、10月11日(日)の聖書。


エレミヤ17:19-27
「わたしがあなたがたの先祖に命じたとおりに安息日をきよく保て。」22節。

わたしたちにとって安息日は日曜日。
イエスが復活したことを記念して、復活の主にお会いするために日曜日を特別な日として守っています。

時々、旧約に書いてあることはすべて新約聖書で無効になったかのように主張する方がおられます。
安息日も、十分の一献金もそんなのは旧約聖書の時代のことだと、切り捨てるような話も聞きます。

でも、結局は旧約か、新約かの話は、
義務感か、恵みへの応答としての献身かと言うことでしょうね。
主の恵みに答えて献身するならば、
すべては主のものなのですから、
それは当然、特別な日を特別な日とすることでしょうし、
与えられたものをすべて主のものとして管理をするために、
まず、十分の一を主のもとに持っていくことになってくるでしょう。

時間もお金も全部自分のもので、自分の自由にしていいんだ、
感謝して自発的に決めればいいんだ、というのは、
「悔い改め」という出発点が違うんだと思います。

悔い改めは自分中心の歩みをやめて、
神様を主とした、歩みをはじめること。

でも、決して単なる形の問題にとらわれていくのではなく、
つまりパリサイ人のように「わたしは安息日も守っています。献金もささげています」と「義務」を果たして満足しているところにとらわれるのではなくて、
本当に自分は、恵みを感謝して、神様を第一としているのか、
本気で主を主として歩んでいるのか、問われたような気がしました。

主よ、
生活のすべての側面で、神様を神様とし、
自分の生活のすべてがあなたを中心としたものでありますように。
時間も、思いも、経済的なものも、人間関係や、才能もあなたから任された、あなたご自身のものであることを忘れることがありませんように。

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