2009-10-13

あんまり怒りたくないですが。

今日は朝は雨でしたが、
だんだん天気がよくなってきました。


でも、夜は冷えるみたいです。
いつ初霜になってもおかしくないそんな朝が続きそうです。


また起こりました。
飲酒運転の悲劇。
日曜日の未明、マンハッタンの西側を走るハイウェイで、
飲酒運転の母親が自分の娘と友達7人を普通の乗用車に乗せて、
80mph(130キロ)という猛スピードでコントロールを失い、
横転事故を起こしました。
定員は6人かなあと思いますが、この車に8人乗っていたわけですから、
シートベルトをしていない子がいたはずで、、
3人の子供たちが投げ出されて、
そのうちの11歳の子が亡くなりました。
45歳のお父さんは男手一つでその子を育てていたそうで、
その夜も警備の仕事をしていて、
夜勤中にその知らせを受けたそうです。
そこにあってテーブルをひっくりかえし、
椅子をいくつか投げないではいられなかったそうです。


その事故を起こした31歳の母親、
前の晩から子供たちを預かり、
子供たちがもう一泊したい、というので、
マンハッタンの元カレの家でその姪っ子(他人じゃん)の誕生日パーティーに参加して、
そこに親たちに着替えをもってきてもらって、ちょっとだけ、顔を出すつもりだったのに
9時半頃から飲み始めて、夜中の1時前(!)に11-14歳の子供たちを7人車に乗せて、ブロンクスの家に向かった、というんですからもう異常。
16歳の彼女の甥っ子も乗らないかと誘われたそうですが、
断って地下鉄で帰って難を逃れたそうです。


生き残った子供たちによると、
乗る時に「事故に遭うのが怖いヤツいる?」と聞いたとか、
「もっとスピードを落として!」と懇願する自分の娘の言葉に、
「これってスピード出し過ぎ?」って他の子供たちに聞いたとか、
子供たちの心を考えると、いたたまれなくなります。


今日も、そのニュースを読みながら
本当に涙が止りませんでした。


何でこんな愚かな事故がなくならないのでしょうか。


そのパーティーにいた他の人たちはどうしてからだを張って止めなかったんでしょうか。


でも、自分がそこにいたらどうだっただろうかと思います。
前に似たような事故が起こった時に、書いたのですが、
今まで、何回か、似たような場面に出会ったことがあります。
でも、自分は「いや、わたしが送りましょうか?」「大丈夫ですか?」「やめた方がいいですよ」くらいで、本当にからだを張ったことがなかった。面倒になることを恐れて、関係が壊れることを恐れて、「何を大騒ぎしているの?」と嘲笑されることを恐れて、本気で対決しなかった。その自分のふがいなさを感じます。
そのことを本当に悔いる気持ちを込めて告白します。


何か出来ることはないだろうかと思います。


このお父さんはこれからの生涯を飲酒運転に対して厳罰を科すという法律を成立させるためにささげると言っておられます。法律もそうですが、もう、このようなことが起こらないように意識改革のために何か出来ることがないだろうかと思わされています。


でも、怒るとエネルギー使いますし、気持ちが落ち着くまで時間がかかるので、嫌です。んー、でも、「エネルギー使うし、気持ちが乱れるから・・・」と、こういうことに怒ることがなくなってしまったらいけないんでしょうね。主よ助けてください。


昨日、10月12日の聖書。
エレミヤ18:1-12。


「粘土が陶器師の手の中にあるように、イスラエルの家よ、あなたがたも、わたしの手の中にある。」6節。

主の手の中にある者としての畏れ。
そして、主の手の中にある者としての安心感。

最近、この後の方が強くなっている自分がいて、
それはそれで自分では肯定しているのですが、
でも、このエレミヤの預言を読むと、
本当に畏れの心を失ってしまってはいけないなあと思います。

新約聖書にも、
「恐れおののいて救いの達成のために努めなさい」という言葉があります(ピリピ2章12節)。
主が支配しておられる人生、
主の支配の下にある自分。
主の愛に感謝しながら、
その守りによる平安を覚えながら、
主を畏れて、誠実に歩む者でありたいと思います。

主よ、
あなたを畏れる思いをわたしが忘れないように、
あなたの大きな愛に感謝します。
あなたをなめきってしまうことがありませんように。

4 comments:

  1. こんな痛ましい事件が起きていたなんて…
    本当に、怒るのは嫌ですが、腹が立ちますね。31歳というと、随分若くして母親になったのでしょうね。自分の子供だけでなく、よそ様のお子さんも預かっているという自覚がなさすぎです。この子供たちが、どんなに恐い思いで酔っぱらった親(大人)の運転する車に乗っていたのかと思うと、胸が痛みます。乗りたくないと思ったとしても、子供の立場からはそうは言えなかったことでしょう。周りに大人は一体何をしていたのか!と、本当に悔しくて涙が出ますね…

    法律だけでは、人の心も行動も変わらないことに、つくづく人間の罪深さを思います。本当に、私たちに何ができるのでしょうね…

    また、大学にいる私たちの子供たちのことも思わされました。大学生活を送る中で、今後何かと友達の車で出かけるという機会もあるでしょう。定員オーバーで乗り込んで、シートベルトなし、ということや、場合によってはドライバーが飲酒していることもあるかもしれない… 娘には、シートベルトの数が足りない場合には、絶対に乗ってはいけないと言ってあるのですが… ドライバーが飲酒していたら、問題外ですよね。
    飲酒やsocializingなど、娘は、誘惑は感じないけれど、ピアプレッシャーは感じると言っていました。ピアプレッシャーに負けることなく、正しい判断をいつも保つことができますようにと祈らされます。

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  2. はちこさん、

    そうですよね、大学生も心配。
    ピアプレッシャーってあのくらいの子たちにとっては、本当に大きな問題なんでしょうねえ。運転だけじゃなくて、いろんなことがあるだろうなあと思います。もう、離れているんですから、本人にしっかりしてもらわないといけないわけで、親のできることはホント祈ることですよね。

    Brooklyn Tabernacleのジム・シンバラ牧師のお嬢さんがぐれて家出した時に、もう、何をしてもダメだったのですが、ある日の祈祷会で、教会の信頼のできるご婦人が「お嬢さんのために祈りましょう」とメモを回してきたそうです。多くの人々が祈祷課題を持ち寄る祈祷会で、自分の娘のために祈ってください、というのには勇気がいったそうですが、導きを感じて、会衆に呼びかけたそうです。「わたしの娘が今、大変なことになっています。どうか祈ってください」と。みんなで祈り抜いた時に、「闘いは終わった」という平安が与えられたそうです。何日かたった朝、娘が帰ってきたそうです。そして、最初に言ったのは「火曜日の夜、火曜日の夜、誰が祈ってくれてたの?わたしは夢の中で闇の中に落ちていった。でも、そこでイエスさまがわたしを受け止めてくれたの。誰が祈ってくれてたの?」ということだったそうです。

    祈りは気休めではなくて、
    確かに主の御手を動かすのだと、
    信じて祈っていこうと思います。

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  3. くいものや11/18/2009 10:29:00 PM

    異例の速さで、NY州では子供を同乗したままの飲酒運転が重犯罪となりました。働きかけたのはこのリアンドラちゃんの父親。あの事故から1ヶ月あまり経ちました。

    (http://www.nydailynews.com/news/ny_crime/2009/11/18/2009-11-18_leandras_law_passes_state_senate_gov_paterson_to_sign_later_today.html)

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  4. くいものやさん、

    フォローアップの情報をありがとうございます。
    全会一致とは・・・。
    ものすごいインパクトだったんですね。
    これによって、愚かな判断をする人が減ることを心から祈ります。

    重罪「felony」の意味、ちょっと調べました。
    ずいぶん日本とは違うニュアンスがありますね。

    でも、まだよくわかりません。
    もちろん、飲酒運転は重罪です。
    「15歳以下の子供が同乗している場合は・・・」なんて条件は付けないで欲しいです。同乗している場合の方が危険が大きいでしょうが、歩行者や他の車の人が被害に遭う可能性もあるからです。

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