2009-09-10

Underneath the Tree

今週末から再開されるJOYJOYシンガーズのクリスマスで歌う曲を探しているのですが、その中で、こんな曲に出会いました。


Underneath the Tree


As a child on Christmas morning,
I would kneel before the tree
and my eyes would dance with wonder
when I saw the toys for me.
The sights, the sounds, the laughter, 
the smell of evergreen, treasured in my heart
these childhood memories.


Underneath the tree is where I found my presents,
the gifts wrapped with love, purchased just for me.
I will not forget the joy of that moment,
when all that I had longed for I found
underneath the tree.


The years have come and gone now,
and I've grown to understand
the greatest gift was given when God became a man.
Willingly He suffered and died to pay sin's cost.
I received forgiveness when I knelt before His cross.


Underneath the tree is where I found His presence,
the gift of new life purchased just for me.
I will not forget the joy of that moment, 
when all that I had longed for I found
underneath the tree.


サンプル(音が出ます。)


日本語にどう訳したらいいか、ちょっと格闘してみますが、
「木の下で」という木が、子供の時には「クリスマスツリー」で、
大人になった今は、「十字架」の木。
そして、そこで見つけて愛を感じたのが、子供の頃は「プレゼント」で、
大人になった今は、十字架の下で、神の「presence」つまり共にいてくださることを見つけた。
この私のために準備されたプレゼント。


自分が子供の頃、クリスマスツリーの下でプレゼントを見つけた経験はないので、
その部分は自分の経験と重なるわけではありません。
それでも、涙があふれてきます。
最高のプレゼントは十字架の木の元に。
それが私のために準備されていた、という事実に、心が震えます。


今年のクリスマス、たくさんの方々が、その木の下で、
最高のプレゼントである、神のpresenceを見出すことができますように!


さて、昨日、9月9日(水)の聖書。
昨日はエレミヤ書の3章19節ー4章4節。



「今、私たちはあなたのもとにまいります。あなたこそ、私たちの神、主だからです。確かに、もろもろの丘も、山の騒ぎも、偽りでした。確かに、私たちの神、主に、イスラエルの救いがあります。」(3:22-23)

神でないものを頼っていた人々、
それによって満たされようとしていた人々が、
本当の命がどこにあるか、本当の救いがどこにあるかに気がついて、
神様の元に帰ってくるところです。

神様以外のものに頼ってそれに満たされることを求めるのは、
どうしてなんでしょうか?
たぶん、それが魅力的に見えるんでしょうね。
本当はそうじゃないのに。
むなしさだけが残るのに。
でも、一見魅力的に見えるんでしょうね。

でも、私たちを本当の意味で満たしてくれることはない。
決してない。
だって、私たちはそのように作られたのだから。

本当に私たちを満たしてくださる方、
本当に私たちに命を与え、喜びを与えてくださる方、
そこに身をゆだねて、そこに人生をかけて、
歩むことができるのはなんて素晴らしいのだろうかと思う。

時々、生きている間は好き勝手なことをして、
最後に「ごめんなさい」と神様にお詫びをして、
天国に入れてもらうのが一番幸せ、みたいなことを言う人がいる。

でも、ホントはそうじゃない。
そんなのは単なる神話。単なる勘違い。単なるイリュージョン。
ホントは、私たちが作られた目的、
神様と共に生きるときに、一番幸せなはずだ。

「痛い目にあって初めて気がつく」ということもあるかもしれない。
でも、本当は痛い目に遭う前に、気がつく方がいい。

そのためには自分自身、
本当に神様の愛に満たされて歩みたい。
この神様と共に歩む人生がどんなにすばらしいものなのか、
その生き証人として歩んでいきたい。

主よ、
あなたと共に歩む喜びに満たしてください。
あなたに救われている喜びに満たしてください。
最高のプレゼントをもらった喜びを、
私自身もっともっと味わうことができますように。
教会の一人一人がもっともっと経験することができますように。

2 comments:

  1. 旧ジャージー9/14/2009 09:22:00 AM

    かきごおり先生
    グッと朝晩冷え込むようになりました
    いつもの年より涼しいです

    いい歌ですね
    起承転結でよく分ります

    我が家にも転勤話が舞い込んできて
    目先のことに惑わされ
    心穏やかじゃないです・・・
    神様が守ってくださり
    最善の道を与えてくださるのは分っているんですが
    平安になったり、不安になったり
    心の中が忙しいです
    まだ、来年の春どうなるかの話ですので
    祈りながら結果を待ちます(*^^)v

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  2. 旧ジャージーさん、

    そうですか、そちらも涼しくなりましたか?

    いい歌ですよね。
    曲が子供達には難しいし、
    内容的にも、大人になった今は・・・って感じなので、
    JOYJOYシンガーズ用にはなり得ないのですが、
    どこかで紹介することができたら嬉しいです。

    転勤話ですか、
    大きなことですよね。
    どんなにかご不安かと思います。
    主が心を守ってくださいますように。

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