2009-09-09

大切なことはみんな幼稚園で習った。

今日はホントにどんより。
NYに来ていますが、2時頃外を歩いたら、
雨が降っていました。


昨日の夜は11時過ぎにはもう眠くて、
今日、NYに行く日なので、身支度とかも準備しておけばよかったのですが、
「明日はちょっと早めに起きなきゃ・・・」と思いながら、
寝てしまいました。
そして、予定通り5時過ぎには起きたのですが、
いろいろやっていたら、あっという間に6時10分前。
まずは教会での祈り会ということで、あわてて、家を出たら、
夜の集会の会場の鍵は忘れるは、
持っていくはずだった書類は忘れるは、
時間ができたら翻訳しようと思っていた本も忘れるは・・・。


そのあと、NYで7時半からの祈り会。
今日は夜集会があるから、ギターとか、歌集とか、
いろいろあるから、バスよりも車だな、と思って、車で行ったら、
地元の人しかわからないでしょうが、Route-4が大渋滞。
橋を渡るまで1時間以上かかりました。
着くまではほとんど2時間。
もう本当に踏んだり蹴ったりです。


いやあ、渋滞はもういかんともしがたいですが、「準備はちゃんと前の晩に」は鉄則ですね。
夜が弱い私にはこれは本当にきつい。朝は強い方だから(というか、何だか最近目が覚める・・・年のせい?)、「朝ちょっと早く起きれば大丈夫だろう」となるんですよね。
子供の頃、「明日の準備は夜のうちにやっておくもんだ」ってよく言われましたが、
本当にそうですね。朝、ぱぱ~っと準備ができる日が何回か続くと、
「大丈夫じゃん・・・」って思って、朝あわてて準備をするのが習慣になっています。


思い出してみると、自分は1年しか幼稚園行ってないし、
ここは思い切って、もう一度、幼稚園児に戻って、
ちゃんとすべて前の晩に準備するようにします!(キッパリ宣言!)


さて、9月7日(月)の聖書。
7日はエレミヤ3:1-5。


「それでも、あなたは・・・恥じようともしない。」3節。

「悔い改め」もいつの間にか慣れっこになってしまって、
ただ「帰れば赦してもらえる」と思ってしまうことがある。
三浦綾子さんの「ちいろば先生物語」の中で、
主人公が「あなたは罪はわかっている。でも、あなたは罪にもだえていない」というようなことを言われる場面が出てくる。
自分もそうなってしまうことがどれだけあることか。

でも、考えてみると、本当に自分が罪を深く示されるときって、
なんだか、自分ではコントロール出来ないように思う。
聖書では「聖霊の働き」と言われるけど、
本当にそうなんじゃないかと思う。

いつもは、ぼーっと「これはやばいよなあ、神様喜ばれないよなあ・・・」みたいなレベルで感じていることや、そればかりじゃない、「私は何にも悪くない」という気持ちにとらわれるときもある。

でも、ある時は、本当に「ああ、なんて自分は愚かなんだろうか?」「自分は神様に対してなんてことをしたんだろう」そんな風に思うときがある。

聖霊様がそのように示してくださっているのだと思う。
修養会の前から、まさに、そのように示してくださってきた。

だから、聖霊様の働きに、本当に従順でありたいと思う。
素直に従う者でありたいと思う。

神様、
私の心は今守られているでしょうか。
自分の罪に鈍感になっていないでしょうか?
もしもそうであるならば、あなたが示してください。
あなたが罪を示されるときに、
それに従順に従う者とならせてください。



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