雨がよく降りました。
あちらこちらで道路が冠水していました。
でも、風はたいしたことはありませんでした。
そして、夜10時半ですが、
もうすっかり峠は越したみたいです。
でも、今日は本当にトロピカルな空気でしたね。
ある方はsoupyと表現しておられました。
まさに、スープの中にいるような一日でした。
その雨の中、教会の中高生の賛美と祈りの集会があったのですが、
そのときに、「愛ってどんなものでしょうか?」「どんなときに愛を感じますか?」という質問がされました。そのとき、私は中高生の答えを聞きながら、いろいろ考えていました。
そして出た答え。
砂浜があって、
波が打ち寄せていて、
肩を並べて海の方を見ている。
「最近どうよ?」
たわいもない話から始まって、
いつしか、それは本音トークになっていく。
いつしか、日は暮れて、空も海も真っ赤に染まっている。
波の打ち寄せる音だけが響いている。
そして、「寒くなってきたね」と、
肩を寄せ合うことが失礼でない相手(妻とか、子どもとか)だったら、
肩を寄せて、さらに話を続ける。
で、その後は、やっぱりたき火でしょう。
復活されたイエスさまが、
たき火をして、弟子たちを迎えられたところを思い出しました。(ヨハネ21章)
究極のQuality Timeかな。
パーコレーターで、コーヒーも入れたい。
ま、まずはちゃんと皿洗いや、
手伝い、庭の手入れ、
身の回りの整理とか、
ちゃんとやっていないと始まらないでしょうが・・・。
さて、水曜日、9月3日の聖書。
水曜日は第2サムエル2章1-11節。
『この後、ダビデは主に伺って言った。「ユダの一つの町へ上って行くべきでしょうか。」すると主は彼に、「上って行け」と仰せられた。ダビデが、「どこへ上るのでしょうか」と聞くと、主は、「ヘブロンへ」と仰せられた。』1節。
神さまがこんなにはっきりと答えてくださることがあるんだろうか、
そう思いました。
そしたら、「日々のみことば」の左側のページには、
「こういうのが例外だと思っていませんか?」
とあるじゃないですか。
「例外じゃないんですか?」と思いましたが・・・。
どうなんでしょう?
神さまはこのダビデに対して、のように、
はっきりとわかるように、
具体的に答えを与えてくださるのでしょうか?
でも、どちらであれ、
その下の方に「あなたは誰かに相談するよりも、まず主に伺っていますか?」
とあることが問われているように思いました。
自分は主に聞いているだろうか?
「はっきり答えてくださることがあるだろうか?」
を考える前に、それを議論する前に、
聞いてみようと思いました。
そして、主の答えに従ってみようと思いました。
主よ、
あなたに聞くことを、
あなたに御心を求めることを、
もっともっとさせてください。
そして、あなたが与えてくださる答えに、
従っていくことができますように。
そこにかけていくことができますように。
かきごおり先生、
ReplyDelete>では残りは?」というなぞなぞだけは覚えています。
↑それは「カモメのミナサン」でしたよね確か…。本作品に関してはいろいろな論評があります。機会があれば読んでみて下さい。
>ホントはどんな話なんですか?
↑一言では難しいですが僕が敢えて言うなら「自分探し」でしょうか。クリスチャンになって今思うのは自分探しとは「創造主を知る」ことだと考えます。
サムエル第二2章1節~11節。目が留まったのは11節。
七年六か月。
ふと、7年半前は何をしていたのかな?と考えました。厳密言うと7年と4ヶ月前になりますが、イエス・キリストを救主とする信仰を受け入れました。はい、それからほんとうの自分探しが始まりました。
先生は7年半前を振り返えられると、何を思い出されますか。
J兄
J兄
ReplyDelete7年半前ねえ。
咲が生まれたのがちょうど7年前。
のんちのおなかが大きくなってきた頃ですよね。
今の牧師館に引っ越したのは8年ちょっと前。
ハジが10歳。
ユキが6歳。
自分はまだ30代でしたね。
全然思い出さないので、
教会のHPから<牧師室から>のバックナンバーを読んだりしてみましたが、やっぱり今ひとつ思い出さないです・・・。日本に5年半ぶりに帰国したのがその年。宗教者ビザが取れて、大手を振って帰れるようになった頃ですね。
ちなみに2000年のJOYJOYキャンプのテーマは?「宝島探検隊」かな?
いずれにしろ、長い時間ですよね。
ダビデの忍耐を思わされます。