2008-09-02

こころ。

今日はなんだか蒸し暑くなりました。
夜も、昨日までのようにさわやかではありません。

昨日、ある夫婦が「夏が終わっちゃうね」
「寂しいですね」「残暑がくればいいのに」
なんて、言っておられたので、
暑さ寒さが苦手な私は「え~?」と思ったのですが、
おかげで(?)残暑がやってきそうです。
明日あさってと蒸し暑い日が続きそうです。

今日の夜は滞在中のレインボーミュージックジャパンの、
潤さんの録音を見せて頂きました。
今回、うちの町内のスタジオで録音されるということで、
朝からいっておられたのですが、
夕方一度帰ってこられて、
また7時から再開!ということでした。
「見に来ます?」と言われ、
「ひとりで寂しいんですよ~」
と、いつも一緒のお姉様が今日は来られないと言うことで、
私が代わりについて行きました。
(代わりに歌いはしませんでした・・・念のため)

で、潤さんが歌うのを祈りながら聞いていたのですが、
本当に心から歌う潤さんの姿に心打たれました。
そして、いつの間にか、賛美に心を合わせている自分に気付きました。

音楽もすばらしいのですが、
それと共に信仰の面で共鳴できるものを感じて、
同じにおいがする、っていうのでしょうか、
聞きながら、自分の中にあるものと
同じものを感じさせて頂いて、至福の時を過ごしました。

さて、土曜日30日の聖書。
土曜日は詩篇の54篇。

「彼らは自分の前に神を置いていないからです。」3節

神を自分の前に置く。
いつでも見えるように、
いつでも従えるように、
神を自分の目の前に置く。

これはある意味意志的な行動。
自然に任せていたのではなかった。
自然に任せておいてよくはなかった。

意図的に、
自分の前に神を置く。
自分の主として、
自分が従う対照として、
この方を置いていく。

主よ、
私もあなたを私の目の前に置きます。
自然の任せたりしません。
意図的に、あなたを私の主とします。
あなたに従います。
あなたに従うことがどんなことなのか、
教えてください。

2 comments:

  1. かきごおり先生、

    はい、赤井です。

    FCは神さまに祝福されたご様子ですね。先生の文面からそばでお話を聞いているように伝わってきます。先生のお声が聞こえてきそうですよ。

    >意図的に、自分の前に神を置く。
    ↑なるほどでした。後ろでも左右でも上でも下でもなく、自分の前に置くということですね。


    詩篇54篇。


    神さまが僕たちにして下さったこと、今現在して下さること、また、これからして下さること、に目が留まりました。

    ・私を救う
    ・私を弁護する
    ・祈りを聞いてくださる
    ・耳を傾けてくださる
    ・私を助ける
    ・いのちをささえる
    ・いつくしみ深い
    ・敵にわざわいを報われる
    ・敵を滅ぼしてくださる

    神さまを自分の前に置くと、過去・現在・未来での神さまの御業をながめるようになれるのですね。

    あなたの御名に、感謝します。

    J兄

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  2. J兄、

    FCの祝福はその場がどれだけ盛り上がったかよりも、その後、どのようにひとりひとりがみことばに従っていくかにかかっているでしょうね。これから主がしてくださることに期待しています。続けてお祈りください。

    >神さまを自分の前に置くと、過去・現在・未来での神さまの御業をながめるようになれるのですね。

    そうですね。最近のJ兄のコメントには本当にいろいろ教えられます。未来にまで神さまの御業を見ていくことができる。それはものすごい幸いですね。感謝しつつ。

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