2008-06-21

朝の礼拝

今夜の雷雨は空振りに終わるかもしれません。
でも、明日はきっと降ります。
明日は蒸し暑く、雷雨がある、そんな不安定な一日になりそうです。
今も夜の12時ごろですが、
気温は20度。湿度もそこそこありますので、
今夜はそれほど冷えないと思います。

さて、明日は朝10時からの礼拝です。
いつもは午後1時半からの礼拝なのですが、
明日は特別です。

それは場所を貸してくださっている英語の教会の牧師就任式。
それを午後4時からやりたいということで、
そして、英語の教会は午前中に礼拝がないということで、
10時からの礼拝となったのでした。

明日の朝はちょっとあわただしくなるかもしれませんが、
とても楽しみです。午前中の礼拝。

大体こちらでも、日本でも教会の礼拝は日曜日の午前中です。

それは日曜日の朝に復活されたイエスを記念して、
「復活のイエスにお会いするために教会に集まろう」という
意味で、日曜日の午前中に礼拝するのです。

一週間の始まり、まず神様にお会いして、
神様と共に歩むということから、一週間のリズムを作っていく、
という意味もあります。
最初に大切なことから始めるということです。

明日の礼拝が祝福されますように。

でも、使用している教会の都合で礼拝時間が変わるのは、
やはり間借り教会の悲しさです。
連絡しても忘れてしまう人や、どうしても連絡から漏れてしまった方が、
1時半に来られるのではないかと思います。

一日も早く、会堂が与えられますように祈ります。

さあ、今日の聖書。
今日はサムエル記第一25章18-35節。

「きょう、あなたを私に会わせるために送ってくださったイスラエルの神、主がほめたたえられますように。」32節

おろかなナバルを討とうと準備をしていたダビデに和解を乞うたアビガイル。
彼女の言葉に、神様が働いておられることをダビデは感じた。

このころのダビデの歩みの中には、
本当に神様の介入があると思うし、
実際、ダビデもその神様の御手を見ながら歩んでいたんだとと思う。

一つ一つの出来事の中に神様のみ手を見ていく。
そのようなものでありたいと思いました。

一つ一つの出来事、その中には不本意なこともあるでしょう。
どうして・・・ということもあるでしょう。
でも、その中に神様の御手を見ていく、
神様の御業を見ていく、
そして、それを受け入れていく、
そのような視点を与えていただきたいと思います。

主よ、
あなたのみ手を感じて感謝します。
私の生涯の中の、つらいことや痛みの経験さえも、
あなたの御手の中にあると信じます。
不本意なことも、あなたが許されたことと、
受け入れることができますように。

明日の礼拝を祝福してください。

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