2008-04-07

朝ごとに

昨日は遅くなったので、
更新をスキップして寝てしまいました。

土曜日の朝の祈り会で、気がついたこと。

出エジプト記の16章を読んだのですが、
そこには荒野を旅したイスラエルの人々のために、
神さまが天から「マナ」という食べ物を与えてくださったことが書かれています。

その「マナ」は神がいつも必要を与えてくださることを表していますが、
もう一つ、主が語ってくださる神の言葉をも表しています。

マナは、「朝ごとに」集めなければいけなかった。
昨日のマナを残しておいても、
今日の朝にはもう食べることはできなくなっていた。
そして、日が昇る頃には溶けてしまっていた。

主が用意してくださる御言葉もそうなのか、と思います。

この3週間、朝の祈り会を毎朝教会でしている中で、
本当に支えられ守られていることを思わされています。

理屈では説明しがたい、朝、何も始まる前に、
あの場に行って、主にお会いすることの祝福をいただいています。

今までの人生をちょっと損したような気持ちになっています。
何でもっと早くできなかったのか・・・。

「神さま、今日のためのマナは何ですか?今日のためのマナを与えてください」

今日も、どんよりでちょっと肌寒い天気のようです。
明日は晴れて暖かくなりそうです。

さて、昨日の聖書。
昨日は出エジプト記7:8-25。

「エジプト人はナイルの水をもう飲むことを忌みきらうようになります。」18節。

エジプトにとって命の源であったナイル川。
そのナイル川を主は打たれた。
主の主権、主の力強さを思わされますが、

またそれと共に、主が主を頼りにするための道のりの中で、
主以外に頼りにしているものを、取り去られることがある、
ということも思わされました。

自分ではまさが「偶像礼拝」をしているつもりはありません。

でも、いつの間にか、それがなかったら困る、と思うようなものが
やっぱりいつも心の何処かにある。

「頼りになる人」だったり、
「才能」だったり、
「お金」だったり、
するわけです。

だから、主はしばしば、それを取り去られる。

本当に何よりも主を頼りにして歩む者でありたいと思います。

主よ、
あなたを頼りにして歩ませてください。
あなたを信頼して歩ませてください。
私が大切に感じているものが取り去られる時、
それはものすごい痛みです。
ものすごい痛みを感じます。

でも、あなたをもっともっと信頼するために、
必要であれば、そのようにしてください。

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