2007-03-12

苦しみにあったとき

今日はずいぶん暖かくなりました。
朝は-3度くらいまで下がりましたが、
昼間は16度まで行きました。
建物の中にいた方が肌寒いくらい。
車に乗ると汗ばむほどでした。

明日まで暖かくて、
水曜日からは雨。
最初は暖かい雨ですが、
金曜日は冷たい雨になりそうです。
雪の可能性だってあります。

そして、週末は寒いみたいです。

そうそう、日本も寒の戻りみたいですね。
「暑さ寒さも彼岸まで」とはいいますが、
3月中は何があるか分りませんね。

今日は週末からのリカバリ中。

でも、本来月曜日は週に一度の休みなんですが、
今日は牧師会で朝から出かけておりました。
同じ思いで、この地域の日本語を使う方々に
どのように福音を伝えるかということに、
日々腐心している戦友なので、
大切なときだと思います。
自分にとっても大切だし、
自分の存在が周りの仲間の励ましになれば、
という思いもあります。

今年の秋には、フィラデルフィアの日本語の達者な韓国人の牧師さんが、
牧師のためのrefreshとempowermentの集まりを開いてくださいます。
日本にいると、確かにそのような集まりは年に何回かあるのですが、
こちらで日本語でそのような集まりを持つのは初めてではないかと思います。
今から楽しみにしています。

牧師が、いつもいつも神様からのpowerをもらっていないと、
教会がダメージを受けます。おかしくなっていきます。

この地域の10数個の日本語教会のために、牧師達のために祈ることの大切さを思います。

昨日、日曜日の聖書。
昨日は黙示録9章でした。
災いが続くところです。
余り読んでて気持ちのいいところではありません。

その中で心に留ったのは、
「これらの災害によって殺されずに残った人々は、その手のわざを悔い改めないで、悪霊どもや、金、銀、銅、石、木で造られた、見ることも聞くことも歩くこともできない偶像を拝み続け、その殺人や、魔術や、不品行や、盗みを悔い改めなかった。」20-21節の言葉です。

人々が、
「苦しみにあっても悔い改めようとしなかった」
ことがここに書かれています。

どうしてだろうと思います。
でも、考えてみると、
自分が苦しみにあったときに、
「悔い改めよう」と思うだろうかと思いました。
今、人々は「どうしてこんなことが起こるんだろうか」と思います。

9/11の時にも、
「悔い改めなさい!」と叫んだ人々がいました。
その人々のことを自分はどう思ったか思い出すと、
「こんな時に・・・」と思ったように記憶しています。

いろんな困難の中で、
悲劇的な出来事の中で、
「これは神様が私たちを悔い改めに招いているんだ」
と果たして思えるだろうかと思いました。
いつもいつもそうであるかというと、そうではないんだろうと思います。

でも、「そうかもしれない」
と受け止めることは大切なんだ、聖書的なんだと思います。
「主よ、悔い改めるべきことがあるならば、教えてください」と祈るべきなのだ、
と思いました。

主よ、
苦しみにあったとき、
あなたが私を悔い改めに導いておられるかどうか、
そのことを祈り求めることを、私はできるでしょうか?
どうか、私にこのことを思い出させてください。
苦しみに遭うときに、
あなたのメッセージを聞くことができますように。
そして、「悔い改めを迫られている」と気がついたときに、
素直にあなたの前に出ることができますように。



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