2007-03-16

戦いに勝つもの

もう16日になりましたから、「今日」ですが、
今日は大雪でしょう。

どれくらい大雪かは天気予報によって違いますが、
一番少なめに見積もっているところは3-6インチ。
多めに見積もっているところは8-12インチです。
もっと行く可能性もあります。

今は夜の12時50分ですが、
2.5度で雨が降っています。
明日の朝には氷点下に下がるようです。

昨日はNYでいろいろ考えさせられ、祈らされましたが、

心に響いてきた聖書の言葉は、
「彼らはみな、婦人たち、特にイエスの母マリヤ、およびイエスの兄弟たちと共に、心を合わせて、ひたすら祈をしていた。そのころ、百二十名ばかりの人々が、一団となって集まっていた」使徒行伝1章14-15節の言葉です。

120人の熱い祈りを捧げる人々がいた。
そこに聖霊様が注がれて、
3000人の人々が救われた。
そして、教会が誕生した。

単純に思わされ、祈らされました。
120人の、訓練された、祈りの人を送って下さい、と。
与えて下さい、と。

そして、先日から思わされていること。
「箱をかく者がヨルダンにきて、箱をかく祭司たちの足が水ぎわにひたると同時に、――ヨルダンは刈入れの間中、岸一面にあふれるのであるが、――上から流れくだる水はとどまって、はるか遠くのザレタンのかたわらにある町アダムのあたりで、うず高く立ち、アラバの海すなわち塩の海の方に流れくだる水は全くせきとめられたので、民はエリコに向かって渡った。」ヨシュア記の3章15-16節。

神様が導いて行かれるとき、
祭司達が先頭に立っていった、
決してみんな横一列に並んでいたわけではない。
祭司が前に進み、
その足の裏が水際に浸ると同時に、
川の水は涸れた、という。

指導者の責任を感じました。
ここ一番というとき、
やはり勇気を持って進んでいくのは指導者達だと、
横一列に並んでいたわけではなく、
指導者達が勇気を持って踏み出したときに、
人々は川を渡ることができたと。

でも、決して民のことを無視していたわけではなくて、
民の備えもできていた。
民の備えと、指導者が先頭に立つこと。
この両方が必要なんだと思いました。

一昨日、水曜日の聖書。
一昨日は黙示録の12章でした。

心に留ったのは「兄弟たちは、小羊の血と、自分たちのあかしのことばのゆえに彼に打ち勝った。」11節の言葉です。

私たちの勝利は、こひつじの血、つまり、イエスの十字架、
そして、「自分たちの証の言葉」のゆえ、だといいます。

イエスの十字架は分ります。
でも、自分たちの証の言葉とは何でしょうか?
イエスのことを証しする言葉、
メッセージ。
イエスが私の人生の中にどんなすばらしいことをして下さったか、
ということです。

それが私たちに勝利を与える。
証をすることは大切なことです。
もっともっと周りの人々に、
もっともっとこの地域の人々に、
この方のお証をしていこうと思います。
もっともっと大胆に伝えていくことができますように。

主よ、
私も「証の言葉」によって勝利を頂きたいです。
もっともっと証をさせて下さい。
私にさせて下さい。
そして教会のお一人一人にそれが広がりますように。
証の波が広がっていきますように。
証をしよう、といううねりが広がっていきますように。

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