今日は朝の雪が、
昼頃には雨に変わって、
そして、午後は曇り。
明日もスッキリしない天気のようですが、
だんだん暖かくなるようです。
今、夜の12時頃で気温は4.6度。
朝にかけてもこれ以上あまり下がらないようです。
今日は夜に日本からのお客さんが来られました。
自分が中高生の頃にお世話になった、教会関係のキャンプ場、
大島泉の家のチャプレンをされている先生ご夫妻。
カミさんも、私も大変お世話になった先生方です。
ウィスコンシンまで来られると言うことで、
せっかくそこまでこられるなら・・・ということで、
NJにまで回ってくださいました。
でも、乗り継ぎ便で、それから飛行機が遅れたとかで
昼頃向こうを出られて、こちらに着かれたのが10時頃。
「ちょっと寄る」って感じではないですよね。
ですから、こちらに回って頂いたのは、
とてもうれしいです。
去年の年末にフロリダに行った時に、
本当にそこまで来たからと、
ご挨拶のつもりでお伺いした方が、
とっても喜んで、歓迎してくださったことを、
思い出しました。
本当にうれしいんですよね。
遠くからお客さんが来られること。
また、いろんな日本の共通の知り合いの情報とか、
いろいろ伺えて、最初の夜から、とても楽しいです。
さて、今日の聖書。
予告を忘れていましたが、
今日はヤコブの手紙の4章の1-10節でした。
「世を愛することは神に敵することであることがわからないのですか。世の友となりたいと思ったら、その人は自分を神の敵としているのです。」4節の言葉です。
主を愛しているだろうか、
本当に心から主を愛し、
主に心のすべてをささげているだろうかと思いました。
主は私が他の所に目を向ける時に、
ねたまれる、とあります。
主ではなくて、世の方に注目し、
世に喜ばれることを、求めていくならば、
ねたまれるんですね。
祈りの中で、
本当にもっともっと主を愛する者となりたいと思いました。
祈ることが神様と語り合う時であるならば、
もっともっと祈ることに喜びを感じる者でありたいと思いました。
結局、心にあるものが、外側に出てくる。
主を愛しているならば、そのような歩みをするようになるのだろうと思います。
心を尽くして、主を愛する、とはどういうことなのか、教えて頂きたいと思います。
もっともっと「ああ、こういうことなんだ」と経験させて頂きたいと思います。
主よ、
あなたを愛することを教えてください。
私の心は今、どこにあるでしょうか。
私の心は今、どこに向いているでしょうか。
詩篇1編にあるように、あなたのことを昼も夜も、思い、
あなたの言葉を口ずさむ者でありますように。
明日はヤコブの手紙の4章11-17節です。
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