2007-11-21

「主」の意味

今日も穏やかな日でした。
それほど暖かい、というほどではありませんでしたが、
昼間はほどほどだったと思います。

夜になって霧が深くなりました。
気温は夜の11時半で9.5度と妙に暖かです。
明日も暖かい雨でしょう。

そして、夜になって冷えてきて、
金、土と寒い日が続きそうです。

今日はお休みをいただいていたので、
明日の朝日本に帰られる先生方と、
Lancaster, PAまで行ってきました。

電気と車を使わない、Amishの人々の生活。
でも、ガスやガソリンとかは使うんですね。
洗濯機はガソリンで、
冷蔵庫はガスを使うみたいです。
「どうして?」と思います。

できるだけ「便利」に振り回されないでいたいと願いながら、
でも、どうしても現代の一般の人々の生き方に影響されないではいられない、
彼らの生き方。

でも、私たちは、あまりにこの世にどっぷりつかっているのかもしれません。

なかったらなかったで済んでしまうものを手に入れて、
いつの間にか、それに支配されてしまって、
なかったらなかったで済まなくなってしまう。

電気なんかはその代表的なものでしょう。

今、私たちは停電の時、どれほど不安になるでしょうか?
サバイバルできるでしょうか?

インターネットが通じない時、
どれだけ社会から切り離されてしまっていると感じるでしょうか?

納得できないものはあるのですが、
それでも、真剣に、神様に従うことを考えている
彼らの生き方に、熱いものを感じました。

先日、読んでいた本で、
20世紀の初めに中国に来た宣教師の方が、
「あなた方はキリストのことを主と告白するけれども、そのように生きているだろうか?あなた方は偽善的だ!」と語り続けたことを読みました。

実際、自分は本当に完全にキリストを主とする生活をしているだろうか?と問われました。

電気を使ってもいいでしょう。
コンピューターの恩恵を受けることが悪いことではないと思います。
でも、本当にキリストを主とする生き方をさせて頂きたいと思います。

さて、今日の聖書。
今日はヤコブの手紙の5章7-11節を読みました。

「兄弟たち。互いにつぶやき合ってはいけません。」
9節の言葉です。

もう単純に主のみことばに従っていこう、
というモードです。
いろいろ考えないで、
とにかく、みことば通りに生きようと思います。

できる、できない、ではなくて、
みことばがこう言っているんだから、
そのように生きよう、
生かして頂こう、
そのように思いました。

もっともっと満たして頂きたいと、
もっともっと輝かして頂きたいと、
ただ、それだけです。

それがどんな牧会方針よりも、
どんな弟子訓練よりも大切なことだと
目が覚まされた思いです。

主よ、
私の口から、
私の心から、
すべてのつぶやきを取り除き、
焼き尽くし、
あなたへの賛美で満たしてください。
あなたと人々への愛で満たしてください。

みことばに生きる者にしてください。
あなたを主として生きることを教えてください。

明日は5章12-20節、最後まで読みます。

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