2007-07-24

いつもいつも守られる方

今日は昨日とうってかわって、
いい天気でした。
夏の一日でしたが、
暑くて大変・・・ではなくて、
気持ちのいい一日でした。

30度くらいに行ったと思います。

あしたは、今日よりちょっと蒸し暑さがアップです。

Moon大使の証し、最終回です。

Moon氏が「大使」として初めて派遣されたのが、
ニュージーランドでした。

Moon氏は大使となるときに、「神の賜物を用いることができる所に送ってください」と
お祈りされていたそうです。
そして、確かに、そこでは神様のための働きが待っていました。
聖書の学び会のために、飛行機に乗って通う教会が与えられたそうです。

しかし、大使がニュージーランドに派遣されたのには、
神様にはもう一つ大きな目的があったようです。

そんな充実した奉仕の場が与えられながら、
何か喜びがなくなりつつあったそうです。
そこで、大使は祈りました。「どうしてでしょうか?」

そのとき
「私が一番大切にしていることをあなたは捨てた」
と語られたそうです。
それは「早天祈祷会」でした。
大使は中国で抗ガン剤治療をしているときに、
苦しくて眠れなくて、朝の祈りをやめていたのでした。

そのとき教えられたのは、
「あなたが何とかここまでこれたのは、
他の人があなたのためにとりなしの祈りをしていたからだ」
ということでした。

不安とおそれの中にいた大使は何とかして、
20年も前に聞いた、
「見えるものによって祈るからむずかしい、
聖霊が導くことについて祈ればいい」
ということを求めるようになりました。

20年前にはプライドが許さなくて、
どうしても「どういうことですか」と聞けなかったのですが、
このとき、大使は砕かれて、聞くことができました。
そして、「祈りの賜物」を持っている人に祈ってもらうことにしました。

大使は「私のプライドが砕かれるため、
地位も立場もすべてを捨てるために20年かかって、
それを神様が待っておられたのです。」と言っておられました。

その「祈りの賜物」を持った人に祈ってもらっている中で、
罪の告白と、人から受けた傷の癒しを経験することができて、
まさに、第一コリント2章9節の経験をすることになるのです。

「目が見たことのないもの、   
耳が聞いたことのないもの、   
そして、人の心に思い浮かんだことのないもの。   
神を愛する者のために、   
神の備えてくださったものは、みなそうである。」

それから、「御霊に導かれて祈る」ということがどういうことかがわかった。
といわれていました。

私はこのお証を聞いて、
本当に祈りたいと思いました。
私も祈りたいし、
「御霊に導かれて祈る」ということがどういうことなのか、
経験したいと思いました。

「証し」ってなんだろうと思います。

聞いた後に、「ああ、自分も同じように神様に取り扱われたい」「今すぐ、私も祈りたい」と思いました。
その後、どうしても話し合わなければいけないことがあって、
祈る時間は余りとれなかったのですが、
祈りたかったです。

聞いた人がそのように導かれるような証しを語る者、
聞いた人がそのように導かれるようなメッセージを語る者とされたいと思います。

さて、
昨日の聖書は詩篇の121篇でした。

主はあなたを守る方・・・の詩です。

「あなたを守る方は、まどろむこともない。」
3節の言葉です。

どうしても睡魔に勝てずにうとうとすること、ありますよね。
一生懸命、膝をつねったり、舌を噛んだり、
ほっぺたをたたいたり、ガムを噛んでみたり、
歌を歌ってみたり・・・。

でも、主はまどろむこともなく、いつもいつも私たちを守っていてくださる。

疲れることもなく、
休まなければいけないこともない、

いつもいつも、私たちに目を向けていてくださる。

私たちのことを心にかけていてくださる。

まどろむこともなく・・・。

いつでも。

主よ、
私たちの側で、
あなたのことが見えなくなることがあります。
あなたが守ってくださっていることを忘れてしまうことがあります。

でも、あなたはまどろむこともなく、
私のことを守ってくださる方。
信頼して、あなたに私の人生をゆだねます。
これから進んでいく道でも、
私に必要な訓練を与え、
いつも、いつでも、私とともにいてくださることを、
教えてくださいますように。

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