2007-03-24

マイトロンボーン

今から10年前、留学生でした。
いろんな方々のサポートを頂いていましたが、
一応自費の留学生でした。
カミさんがアルバイトしたり、
日本で数ヶ月働いたりして、
支えてくれました。
私も翻訳をやったり、休み中にはアルバイトをしたりしましたが、
日本で国家資格を持っているカミさんとは比較にはなりません。
お小遣い程度にしかなりません。
苦労をかけました。
(今も、別の意味でかけてますが・・・)

10年前ですから、
16歳の息子はそのころ6歳。
留学生活が始まったのが息子が1歳の時からですから、
5年間、それまではホントいろいろ我慢させたと思います。

こっちも気合い入っていましたから・・・。
1ヶ月の食費が100ドルだったり、
光熱費が20ドルだったり・・・。

カミさんに言わせると、
「1ドル以上のものは買ってあげない」ということだったらしく、
「これ1ドル以上?」「これはダメだよね1ドル以上から・・・」と買い物に行くたびに、「いじらしい」ことを言っていたようです。逆に親はこういうのには弱いんですよね。「買って買って」とぎゃあぎゃあ言って、寝ころんで泣き騒がれるよりも、「ダメだよね、これ高いから・・・」の方が効くんですよね。でも、それでも買ってやらないくらい、こちらも気合いが入っていました。というか、現実問題、無理でした。

で、今でも、何だかいろいろ欲しがりません。
周りの子が楽器とか買ってもらっても、
こちらも「どうする?」って聞くのですが、
欲しがりません。
「我慢なんかするなよー」と言うのですが、
子供の時の経験がもう染みついてしまっているのかもしれません。

そんなことを考えていたら、
自分の子供の頃のことを思い出してしまいました。

中学でブラスバンドに入ってトロンボーンを始めました。
最初はどうでもよかったのですが、
やはり2年生、3年生と進んでいくうちに、
「マイ楽器」を買ってもらう仲間が増えてきました。
ドラムのヤツ、トランペットのヤツ、ホルンのヤツ、
そして、フルートの子、クラリネットの子。
伝統・・・っていうか、歴史が長いというだけなんですが・・・
がある学校だったので、
学校の楽器は古い。
でも、実績はないので、部には新しい楽器を買うお金はない。
学校の楽器は凹んでいたり、さびて、使っていると緑青が手につくような、
そんな楽器でした。

今考えると、そんな楽器でも使い込むといいのかもしれませんが、
そのころはみんなのピカピカの楽器がうらやましくてしかたありませんでした。

カタログを見ては「欲しいなあ」とため息をつく毎日でした。
そして、ある時、親に言いました。
トロンボーンが欲しい、と。
「無理だ」と言われました。
泣きました。
あんまり泣いているので、
部屋に親父がやってきて
「いくらくらいなんだ?」と聞いてくれました。
「一番安いので5万円・・・でも、ボクが欲しいのは10万円」
それを聞いて親父は「バカ!」の一言を残して部屋を出て行ってしまいました。

泣きました。
思いっきり泣きました。

そして、あきらめました。
無理だと思っていました。

でも、数ヶ月後、
親父に「中古の楽器があるけど見てみるか?」と聞かれました。
宣教師の先生に聞いてくれたみたいです。

そして出会ったのがマイトロンボーン1号。
親父が2万5千円で買ってくれたのです。
もう天にも昇るような思いでした。
それを5年くらい使いました。

高校時代、おぼっちゃま、お嬢様方も多かったので、
30万円のホルンやら20万円のチェロ(これは安い方でしょうが・・・)やら持っている仲間がいて、またまた「うらやましい病」が再発してしまいましたが、「まあ、自分の楽器があるからいいや」と我慢しました。

でも、さすがに大学へ行くと、楽器のレベルがちょっとネックになってしまって、
「この楽器じゃなぁ」という感じになってきたので、
子供の頃からためていた貯金と
アルバイトで稼いだお金で23万円のトロンボーンを
渋谷のネロ楽器で新品で買いました。
(今もあるんでしょうか・・・)
あこがれのBachの42BGL(だったかな)、
10本の同じ型番の楽器の中から、よく鳴るヤツを
プロの女性のトロンボーン奏者、宮下宣子さんに選んで頂きました。
宮下さんのファンだったので、とてもうれしかったです。

今、そのマイトロンボーン2号、日本のどこかで、若者が使ってくれているようです。

こうやって振り返りながら、
息子に「無理して我慢するなよ」と思いながら、
でも、自分が何でも好きなものを簡単に手に入れることができなかったことが、
よかったことなんじゃないだろうかと思っています。

神様はどうなんだろうなあ、と思います。
私たちが「あれが欲しい」「これが欲しい」というのを
どういう目で見ておられるのだろうかと思います。

うちの親父と違って、
自分とも違って、
この神様はどこまでもどこまでも豊かな方ですよね。

与えるものが無かったら、
「無理だ」と言うのは簡単だと思います。ほんとうなんだから・・・。

でも、あるのに「今は与えない」と決断されるのはどんな気持ちなんだろうかと思います。
「神様はほんとうにいるんだろうか」
「神様はケチな方だ」
「神様は意地悪だ」
「神が愛だなんて嘘っぱちだ」
「何でも聞いてくれるって言ったくせに・・・」
そんなことを言われるリスクがあるわけですよね。

「 肉親の父は、しばらくの間、自分の考えに従って訓練を与えるが、たましいの父は、わたしたちの益のため、そのきよさにあずからせるために、そうされるのである。」ヘブル12:10

神様は今の私たちのことをどんな気持ちで見ておられるんでしょうか?

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