2007-03-22

この大いなる救い

今日は午後からグッと暖かくなりました。
朝は3度くらいでしたが、
最高気温は19度まで行きました。

残念ながらこの天気も今日限り。
明日はまた12度くらいに戻ってしまうみたいです。
1週間前は雪が降っていたことを考えるとずっといいですが・・・。

ちょっとどんよりした日が続くようです。

今日は春めいた天気になったせいか、
JOYJOYキッズクラブも、いつもよりたくさんの仲間が来てくれて、
なんか、楽しかったです。
やっぱり「暖かい」「明るい」って大切なんだなと思います。

これで花粉症がなければ、春は最高の季節なのですが・・・。

去年の今頃どうだったかな、と思って見てみたら、
去年の3月23日は今日キッズクラブをしたレオニアの教会で
レンギョウの花が満開だったんですね。
今日はまだまだ。
3月15日にはウチの庭のクロッカスが咲いていた・・・と。
4月1日には25度を記録しています。

年によってこんなにも違うんですね。
でもクロッカスも雪の中から顔を出しています。
この週末くらいから咲き始めるでしょうか。

最近、「ホントの自分である」ことの意味を考えさせられています。

「人が全世界をもうけても、自分自身を失いまたは損したら、なんの得になろうか。」ルカ9:25

「自分自身を失う」ということがある。
他のものを大切にして、
自分の立場を大切にしたり、
物質的な豊かさを求めたり、
表面的な「成功」を求めたりして、
ほんとうの自分を失ってしまうことがあるのだと。

ほんとうの自分は主と共に歩む中にある。

それが聖書の主張だ。

それと共に裸の自分で主の前に立つということ。
肩書きや立場や、そういうものもすべて置いて、
主の前に立つということ。

そのような自分の時を大切にしていこうと思います。
主の許に重荷を下ろして、安らぐ時を。

さて、今日も黙示録を読みました。
いよいよあさってで新約聖書一日一章が終わります。
7月から初めて3月までかかりました。
今日は20章。

「この人々に対しては、第二の死は、なんの力も持っていない。」6節の言葉です。

この言葉の裏には、
第二の死の力の恐ろしさがあります。
本来、私たちは自分たちの罪ゆえに、それを経験するのが
当然の結果でした。
当然のことでした。
この第二の死は永遠の苦しみであり、永遠の孤独です。
永遠に心の中に「憎しみ」「恨み」を持ち続ける世界です。

「地獄で会おう」なんて冗談で言う人がいますが、
あまりに不謹慎です。
「地獄」は「この世の地獄」レベルではありません。
「この世の地獄」だってどうにもならない苦しみであるのに、
ほんとうの地獄はどうだろうかと思います。
「昔の仲間」にそこで会っても、
「やあ、どうしてた、おまえ・・・」なんて懐かしい気持ちが湧いてくるところではないでしょう。
誤解と苦しみ、恨みと、非難・・・。

でも、そこから解放された。

それはイエスの十字架のゆえです。
イエスの十字架のゆえに、私たちは初めてその「第二の死」から救われているのです。
その「第二の死」は全く私たちにとっとは無力なんです。

感謝。

主よ、
あなたの救いの大きさに感謝します。
その救いがあるから、私のうちに平安があるのです。
その救いがあるから、死も恐れることはありません。
「第二の死」は私たちに対して、全く力がないことを、
心から感謝します。
この大きな救い。この救いの大きさを忘れることがありませんように。

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