2006-04-19

水がほとばしる

いやあ、今日もあと20分で終わりです。
遅くなりました。
めちゃくちゃ忙しい一日という訳ではなかったのですが、
タイミングが難しかったですね。

今朝は8度、そして、晴れて風の強い日でした。
暖かく23度まで上がりました。
でも、穏やかと言うより、渇いた熱風に近い風が吹く一日でした。
夕方には「バチバチ」と電気が切れる
「瞬間停電」みたいになりました。

明日はもっと暖かいようです。
そしてあさってからはぐんと肌寒くなるようです。
そして週末は雨。
来週初めは休暇なんですが、
天気はどうなんでしょう。
ぽかぽか陽気になって欲しいのですが、
それは無理かも・・・。

今朝、またアスパラガスを2本収穫。
一本は細かったのですが、
もう一本はまずまずの太さ、鉛筆くらいかな。
まあ、おいしかったです。
でも、本当に「おいしかったあ!」となるためには
一遍に10本くらい収穫出来ないとねえ。
ちょっとせこいですよね。

今日はまたうれしいことがありました。
夜のNYの集会で、一人の方が、「洗礼を受けますよ、私は」宣言。
以前一緒にお祈りして、キリストを救い主として受け入れておられたので、
その後どうなっちゃったのかなあ、と思っておりましたが、
今日また、「私はイエスを信じております」ときっぱり。
いいですねえ。月曜日といい、今日といい、
日々、信仰をもつ方が起こされていくのはうれしいです。

朝は隣の教会のプログラムの最初に15分の入門コース・ショートメッセージ。
「私たちは神様に造られたんだ!」とお話ししました。
お話ししながら、子供の時のことを思い出して、紹介しました。
皆さん、鼻の頭っていつから見えるようになりました?
小学校の3年生くらいの時に、女の子に、
「ベビー(これ、当時の私のあだ名)、自分の鼻見えないだろう?」って言われました。
私は、「何いってんだこいつ、見えないのが当たり前だろ」と思いました。
中学生くらいの時に、だんだん鼻が大きくなって(高くなって・・・じゃなくてね)、
ちょびっと見えるようになった時、初めてその女の子が何を言っていたのかわかりました。
皆さんはどうでした?
自分の鼻って見えますか?いつから?

今日の聖書はイザヤ書48-50章。
ここもいろんな言葉が心に留る中で、
あんまり進めません。
特に48章の21節の「岩が裂け、水がほとばしる」という言葉に、
目が釘付けになりました。
神様は砂漠の中で、岩を裂いてくださる、
厳しい状況の中で、一番大きな障害、その大きな障害自体から、
水をほとばしらせてくださる。
涙は賛美の泉、と歌うけれども
自分はやっぱり苦しみは苦手だ。
逃げたくなるし、ため息が出てくる。
でも、そこがまた泉のわくところとなるのだ。
今度、次に砂漠の中の岩に出会う時に、
涙の谷を行く時に、
そのことを思い出して祈ろう。
そのことを感謝して祈ろう。
それが本当なんだと、経験させて頂こう。

神様、
今日の一日を感謝します。
今日も一人の方が、洗礼を決意されたことに心から感謝します。
更に信仰に導かれる方々を起こしてください。
強制ではなく、喜んでそのようにする方々を起こしてください。
そして、次に私の人生の砂漠を通る時に、
岩にぶち当たる時に、そこが泉のわくところとなることを、
経験させてください。
この御言葉を思い出させてください。



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