2006-04-23

主を知ることを誇る

今日も雨でした。
特に教会に行く時間帯、めちゃくちゃ降っていましたね。

でも、感謝なことに、たくさんの方々が来られました。
いつもはイースターの次の日曜日は100人から50人に半減するのですが、
今回は80人から65人とちょっと減。
イースターは教会で守って、
イースターが終わってから旅行に行く、出張に行く、という方が多いのでそうなるんですが、
今日はたくさんの方々と共に礼拝を守れました。
聖書でも、イースターの日にイエスさまに会えなかったトマスは
イースターの次の日曜日にイエスさまに会えました。
来週はまた休暇明けで帰ってこられる方々もおられるでしょう。楽しみです。

明日もまだ雷雨だそうです。

で、月火と休暇で出かけられるかな、と思っていたのですが、
娘が体調を崩して、やっとよくなってきたかな、と言うところなので、
難しいでしょう。
11歳なんですが、とってもハスキーないい声になってしまいました。
ということで家でゆっくり休暇を取ります。
天気も不安定みたいだし・・・。
でも、その日になって「行くか」みたいなことをいつもしているので、
明日更新がなければ、「行ったんだなあ」と思ってください。

今日は私たちがお借りしているアメリカの教会の会堂が建って50周年。
記念集会でした。
立派なパイプオルガンがあって、
そして、すごいオルガニストが来て、
すごかったです。
長かったです(3時間以上)が、すごかったです。
よかったです。
そして改めて、貸して頂いていることのありがたさを感じました。
集会の後のお茶の時間に、50年前のことを知っておられる方と話しました。
お金を貯めて、建てた時の苦労、もちろん、その方もそのころまだ大学生で、
あまりわからなかったかもしれませんが、でも、一生懸命ささげたことをお話ししてくださいました。
そのささげ物によって、私たちの教会も存在していることを忘れないようにと思います。

今日の聖書。
今日はエレミヤ書の7-11章を読みました。
9章の23節が心に留りました。
知恵や力や富を誇るのではなく、
神を知ることを誇れ、という言葉です。
神を知ること、
それは自分の小ささを知ることでもあり、
自分の弱さを知ることでもあり、
自分の愚かさを知ることでもあると思います。
なぜなら、神の前に立つ時に、神だけが見えるのではなくて、
自分も見えてくるからです。
イザヤという預言者が神の栄光を見た時に、
ああ、私は滅びるばかりだと言いました。
神様がわかると、自分がわかる、
そう思います。
でも、その神様が私たちを赦し、受け入れてくださることがわかる時に、
イエスの十字架によって赦されることが本当に心の底でわかった時に、
今度は自分のことはどうでもよくなり、神様のすばらしさ、
神様の愛の大きさに目が留るようになります。
これは私自身の経験でもありました。
神様に愛されていることに気が付くと、
今度は自分の弱さ、愚かさ、小ささ、そういうものばかり見る必要はなくなるのです。
神様の愛のありがたさ、かたじけなさ、
そればかりに目が留るようになりました。
だから、その神様の愛のゆえに、私は神を誇ります。
神を知っていることを、神の愛を知っていることを誇りに思います。
そして、語っていきたいと思います。
どう受け取られるかは二の次の問題です。

主よ、
あなたに愛されていることを、
それを知らされていることを、
心から感謝します。
あなたの愛を伝える者としてください。
あなたの愛を誇りとして、
語る者としてください。

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