2006-02-05

神の力が去る時

眠れた。
良かった。
でも地下は残り香があふれている。
外ではなくて、地下がにおうというところがヤバイ。

でも、今日は日曜日、
心を主に向けて、
スカンクのことは忘れて、歩みましょう。(って自分に呼びかける)

今、外の温度は5.o度C。
今日は、午前中ちょっと温度が上がった後、
夕方に向けて冷えてくるでしょう。
天気は文句なしの晴れ。
予告通り、明日からは冬です。

でも、2月の日差しは1月のそれよりも
確実に暖かくなっているし、
日が暮れるのも5時を過ぎているし、
気分的にはずいぶん違うと思います。
そして、晴れる日も多いようです。
感謝。

ということで、聖書は士師記の12-16章を読みました。
13章からはサムソンの登場。

今日思いめぐらしたのは、サムソンの力が去っていった時のこと。
髪の毛をそる、という一見何ということのないことが、
決定的なことだった。
以前、イエスの「不倫の罪を犯さなくても、それを心に抱いただけで同じ罪なんだ」
という言葉に、「結果は全然違うのに・・・」と思ったことがあった。
でも、その後に教えられたことは、
社会的結果は全然違っても、
神様からの命の泉が涸れてしまうということにおいては、
同じなんだ、ということだった。
ホンの小さなことのように、思えても、
このサムソンのように、気がつかなくても、
神様の力が去ることがあるのだ。

考えてみれば、
アダムとエバがあの木の実を食べたことだって、
人を殺したこと、不倫をしたこと、
などに比べれば、
「社会的結果」は小さかっただろう。
でも、それは同じ「罪」だった。

心を開く相手を誤ったサムソン。
主の力が去ったことに気づいていなかったサムソン。
本当に惨めだと思った。

でも、主はもうコイツはダメだと見捨てられなかった。

神様、
小さな罪を軽く見ることがないように、
守って下さい。
あなたとの生命線が
切れてしまうことがないように、
助けて下さい。
いつもいつもあなたに繋がって、
あなたから力をいただいて、
歩む者としてください。

過ちを犯すことがないようにと願いますが、
もしもその様なことがあったら、
過ちを教えてください。
そして、憐れんでください。

今日の日曜日があなたの恵みといのちのあふれるものとなりますように。

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