2006-02-09

祈り続ける

今朝は冷えましたねえ。
でも-5.8度C。
-10度以下もこの冬も何回か経験しているのですが、
一度暖かくなると、
この寒さが特別に感じます。
今日は、あまり温度が上がらないと思います。
3度くらいという予報が出ています。
昨日も3.4度だったから、昨日並みかな。

で、
今天気予報の世界をにぎわせているのが、
今度の土曜日から日曜日にかけての雪の予報。

昨日の午後あたりから、騒ぎ始めました。
というのは昨日の昼前に出てきたGFSというコンピューターモデルが、
日曜日の朝について、次のような予想図を出してきたからです。



わかりますか?
アメリカ全体がうすく線で書かれています。
そして、色が付いているところが雨や雪の降るところです。
東海岸に強い低気圧が進んで来る、という予想図です。
これが昨日の朝のモデルにはなかったんです。
6時間おきに計算をし直すのですが、
その昼前のモデルで、出てきたんです。
そして、この低気圧、結構強い。
それで、北東部に住んでいる多くのweather nutsは色めきだったのです。

しかーし、

実は日本の気象庁のコンピューターモデルは
一日早くこのことを予想していました。
下が、その図です。
こっちはアメリカ北東部だけの図ですので、
わかりやすいですね。
ニュージャージー州のほとんどには、
ちょうど色が付いているところの真ん中の(つまり一番強く雪が降るところ)
紫色の部分がかかっていますね。



だんだん多くのコンピューターモデルが同じような
結果を出してきていますので、「雪」の予報が目立つようになってきました。
でも、まだ、2日半も先のことですから、
わかりません。

「あなたがたは明日のことはわからぬ身なのだ」と聖書にありますが、
「明日の天気はわからない」のです。

じゃあ、何でそんなに天気予報が好きかって?
それは説明出来ないからこそ、ほんとに好きだってことでしょう。
人だって、本当に好きになったら、「あの人のこう言うところが好き」って言うのが難しいように、
天気だって、そうなんです。ハイ。

あと、教会に影響が出るかも・・・というのが気にかかります。
去年の1月23日はニュージャージー日本語キリスト教会が始まって以来初めて(たぶん)、
雪で日曜日の礼拝ができませんでした。

土曜日のうちに降って・・・なんてすべてを自分の都合に合わせて考えてはいけませんね。

さあ、聖書の話です。
今日はサムエル記上8-12章を読みました。
サムエルがサウルを王にするところです。
今日は12章23節が心に留りました、
というより、主から語られたって感じかな。
「わたしはあなた方のために祈ることをやめて主の前に罪を犯すようなことはしません」と
サムエルが言っている言葉です。

祈ることを止めるのは、祈らないのは、主の前に罪なんです。
祈ることが私たちにできる最初のことであり、
祈ることが私たちにとって最高のことなのです。
自分は祈っているだろうかと、
もう一度問われました。

活動する方が楽、
動いている方が手っ取り早い、
何かしている方が神様の役に立っているような気がする。
でも、神様は静まりなさい、といわれる。
祈りなさいと言われる。

もちろん、私たちは立ち上がる。
でも、それは主が押し出してくださるから。
主が立ち上がらせてくださるから。
本当に主の前に座って、
祈って、進み出る。
それが今の自分にいかに大切なことか、
教会に大切なことか、
牧師として大切なことか、
思わされた。

一人一人の名をあげて、
一人一人の状況を思いながら、
祈ることがどれほど大切なことか、
思わされました。

主よ、
あなたの御言葉に感謝します。
あなたの前に出るようにと導いてくださったことに
感謝します。
あなたの前に出ると、
自分の考えがいかに浅はかで、
薄っぺらいものかと思わされます。
いかに焦りやすい、
あわてやすい者であるかと
思わされます。
あなたに聞きながら、
あなたに祈りながら、
歩む者としてください。
あなたとの交わりの中に歩ませてください。

教会全体のために・・・よりも、
一人一人のことを覚えて、
一人一人の状況を覚えて、
祈ります。

No comments:

Post a Comment