2014-01-12

他の何かではなく・・・。

今朝は、それほど冷え込まなかったですね。
5度Cくらいでした。「わたしに何をしてほしいのか?」(マルコ10:51)
これはイエスが、大声を上げて求めてきた人に聞かれた言葉です。

さて、私はいったい、心の深いところでは何を求めているのだろうか?
いろんなことを考えていましたが、
祈りの中で、はっきりと見えてきました。
でも、一日風は強く、夕方からは冷たく感じました。

今は夜の12時ですが、-0.5度C。
この勢いだと-5度くらいまで下がるのでは?
それなりの冬の夜になりそうです。

さて昨日の夜の祈りですが、
今日の礼拝の中でお話しました。



音声はこちらですが、
http://jccofnj.org/main/message/message.html
夜の12時現在、まだ音声アップロードされていないようです。

「わたしに何をしてほしいのか?」(マルコ10:51)
これはイエスが、大声を上げて求めてきた人に聞かれた言葉です。

さて、私はいったい、心の深いところでは何を求めているのだろうか?
いろんなことを考えていましたが、
祈りの中で、はっきりと見えてきました。

それは、神様あなたご自身です、という祈りです。
聖霊様に満たされることです、という祈りです。

ちょうど、土曜日の昼前に、売りに出ている教会堂を見に行って、
そのことも祈らせていました。

その教会堂、この会堂、与えられたいいなという思いもありました。
ですから、私は何を求めているのか、本当に深く考えさせられていたのでした。

そんな中で、もしもこの会堂が与えられなくても、
神様がおられるならば、聖霊様に満たされて歩むことができれば、
それで、本当に感謝だと。

反対に与えられても、聖霊様に導かれていないならば、それはむなしいと。

本当に心の底から、「私が求めているのは、私が欲しいのは、あなたご自身の存在ですし、聖霊様に満たされて歩むことです」と求めていました。

教会堂のことも神様がどのように導いてくださるのか、楽しみにしながら祈っています。

さて、昨日の「日々のみことば」

昨日は創世記の12章を読みました。

「あなたは国を出て、親族に別れ、父の家を離れ、わたしが示す地に行きなさい。わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大きくしよう。あなたは祝福の基となるであろう。」1-2節


アブラハムにとって国を出ることは、
父の家を離れることは
大きな冒険だっただろう。

でも、そこに祝福があった。
その祝福は神様との関係が深められ、
整えられることを通して与えられた。

神様はしばしば私たちを冒険に導かれる。
冒険に誘われる。そこに神様との関係が強められ、
整えられる、ということが起こる。
いや、それこそが、祝福そのものなのだと思う。
何かが与えられるとか
順風満帆で物事が進むとか、
そういうことよりも、神様の存在自身が、
私たちの祝福なのだと思う。

勇気を出して、踏み出そう。

私たちが思いもしなかったことを神様は私たちに与えられる。

主よ、
私にも勇気を与えてください。
アブラムが従って、出るべきところから出て行ったように、
私もあなたに従って歩んでいく者でありますように。

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