2013-07-24

ほっと。

ホットな日々が過ぎて、
今日はぐっと涼しくなってホッとしました。
今朝までは湿度も高かったのですが、
ほんとうにさわやかな夜を迎えています。

これは、夜9時前、暗くなって来たところ。



今は夜の11時半ですが、20.6度Cで、湿度49パーセント。
昨日までの暑さ、蒸し暑さがウソのようです。


明日もさわやかな日になりそうです。

最近思わされていること。
牧師の働きの中で大切なことは、礼拝のメッセージであり、祈りで支えることであり、神様のことを伝えることであるんですが、それと共に「教会の一人一人が神様のために生かされること」なんだなあと感じています。

エペソ4:11-12にはこのようにあります。

「そして彼は、ある人を使徒とし、ある人を預言者とし、ある人を伝道者とし、ある人を牧師、教師として、お立てになった。それは、聖徒たちをととのえて奉仕のわざをさせ、キリストのからだを建てさせ・・・」


ですから、牧師の働きは、一人一人が神様の願われるような働きのために整えられるためのサポート。

で、春に「信仰生活基礎コース」を持った時に、
「賜物」=神様から与えられている才能や能力、任されていること。の話をしました。
そして、そこに参加された方々に「賜物候補リスト」を出していただいて、それについて今週になってから、お会いしてお話しする時を持たせていただいています。

2日間で5人の方とお会いしたのですが、ほんとうに幸いな時を持たせていただいて、神様がこれから、みなさんをどんな風に用いられるのか、楽しみになってきました。

「祈っていけば、自然と賜物が用いられて、適材適所になっていく」と思って来たところもあるのですが、そのプロセスに関わって、励まし、導いていかせていただけるのは、とても幸いなことだと思います。主がすばらしいことをしてくださいますように。そのために、わたしもその使命を忠実に果たしていくことができますように。

さて、7/6(土)の「日々のみことば」。使徒行伝17章でした。

「神は、このような無知の時代を、これまでは見過ごしにされていたが、今はどこにおる人でも、みな悔い改めなければならないことを命じておられる。」30節。

これはアテネの人々の前でのパウロのメッセージ。
それまでは、神様の支配を語っていた。
「知られない神に」と祈っていたアテネの人々の「宗教心」を認めながらも、
神様がホントのことを受け入れるようにと求めておられることを語っていた。

そして、それは自然と「悔い改め」へと導くのものとなった。

イエスの十字架は、私たち決断を迫る。
それを受け入れるか、拒むか。

悔い改めるか、今までの生き方を否定されるのを拒むか。

悔い改めるのは簡単なことではない。
でも、そこに与えられる祝福と、喜びはとても大きなものだから、
大胆に語らせて頂きたいと思う。

主よ、
パウロがそうであったように、わたしも大胆にあなたが与えられるメッセージを語ることができますように。それが受け入れるのが難しいようなメッセージであったとしても、大胆に語ることのできる者としてください。

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