2013-03-17

こいつも春を待っているかな?

冷えこんできた日曜日の夜2回目の更新。
去年の秋に買ったヒラタケの菌床、屋内栽培では胞子が飛んだり、ちょっと苦情も出て、屋外で育てています。と言っても、氷点下15度くらいまで下がる中、外に出しっぱなしになるわけにはいかないので、半透明のコンテナに入れて(まあ入れておいても-15度の夜は、-15度だったでしょうから、カチカチになっていましたが、それでダメになることはありませんでした・・・)、放っておきました。
そして、ちょっと10度を超える日があったりして、生えてくるかなあ、と思ったら、無事、ベビーが成長中。



傘の直径はまだ5ミリくらい。
お、でてきたでてきた、と思ったら、この冷え込みで、どうなることやら。
湿度を保つためにもよっぽどお湯の入った鍋でも入れておこうかなあ、と思ったりしています・・・。

でも、この衣装ケースみたいなコンテナで栽培するの、ちょっと良さげです。夏の暑さには一気に参ってしまいそうですがそんなときは床下にでも入れておくか、と思っています。ああ、早く春が来ないかなあ、です。

さて、金曜日15日の「日々のみことば」。
金曜日は民数記12章でした。
モーセの姉ミリアムと、モーセの兄アロンとが、そろって、弟モーセを非難します。

「主はただモーセによって語られるのか。われわれによっても語られるのではないのか」2節。

ここは神様の自由な選びによって、モーセが用いられていることに対して、兄や姉が文句を言っているところです。
私が思うのは神様は「平等」「みんな同じ」ということにそれほど感心をお持ちではないのではないかと思います。一人一人違うものとして造られて、違う使命を与えられた。違う課題を与えられた。他の人をうらやんで生きるのは自由だけれども、それはもったいないし、何よりも、その刈り取りは自分でしなければいけない。
神様から自分が与えられているものを正面から受け取って、そこに生きることを神様は求めておられると思う。

だから比べる必要もないし、比べていたらもったいない。同じであることを期待する方が間違っている。

神様から与えられた人生を引き受け、そこに与えられたものをもって、主に栄光を返していく、それを求められているのだと思う。

主よ、
あなたの与えてくださった使命にしっかり立たせてください。
他人と比べて他人のように生きるところから救ってください。

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