2012-03-20

神の喜び。

ここ数日、もやっています。
1月までは朝6時前に教会に行っていたので、
こういう朝は運転もコワかったのですが、
最近は自宅で祈るようにしているので、
気がついたら、もう晴れていることも多いです。


でも、今朝は結構長い間もやっていましたね。


今から25年くらい前ですが、7月の初めから8月の終わりまで、
2ヶ月間、北海道の士別で過ごしました。


聖書学院の1年生の夏の実習でした。


7月に行った時には、まだストーブがいるくらいの寒さ。
でも、8月の1週目、1週間だけ暑くなりました。
ホントに一週間だけ。


その時に皆さんが言っていたことがとても印象に残っています。
「こういう、朝にもやっている日は、暑くなるんだよね」と。
東京では、もやっていようがいまいが、夏は毎日暑くなりますから、そんな感覚なかったです。ですから「そんなもんかなあ」と思って聞いていました。でも、ホントに暑くなるんですよね。


NJはそれに近いものがあります。
朝もやっている・・・それは空気はある程度の湿度を持っているけど、天気がよいので、放射冷却で気温が下がった、でも、湿度が高いので、それほど下がらないでもやっとする。そして、昼間、天気がいいのでぐっと気温が上がって蒸し暑くなる・・・というメカニズムかな、と思います。


今日も、そんな一日でした。


明日、また25度くらいまで上がって、暖かい日となりそうです。


さて、今日の聖書。
今日はルカによる福音書19章11−27節。


「あなたは計算の細かい、きびしい方ですから・・・」21節。

イエスのたとえ話。

10人の僕に1ミナずつ預けて、旅に出た主人、帰って来て、僕達がどのようにそれを活用したか、清算をした。

ある人は10ミナのもうけをあげ、ある人は5ミナのもうけを上げる中で、一人の人がやって来た。「私はあなたがきびしい方だと知っていたので、コワくて、お預かりした一ミナ、地面に埋めておきました。これがあなたの一ミナです、ご確認下さい」と。

この人の決定的な問題は、主人のことをこのような人だと思っていたことだ。本当は僕達と一緒に喜びたい、わたしたちに対して気前のよい方なのに、「計算の細かい、きびしい方」だと思い込んでいたことだ。

でも、自分は人のことを笑えない者だと思わされた。
神様はきびしいんじゃないか、けちなんじゃないか、簡単に必要な者を与えないんじゃないか、そんな風にいつの間にか思っている。我慢しなければいけないこと、そんなに簡単には物事が進まないこと、そんなことを神様は与えられるのだと思っている。

いや、頭ではわかっているのだと思う。神様は豊かな方で、わたしたちの必要をいつも豊かに満たしてくださると。でも、現実、自分はちまちまと計算をして生活している。

だから、今日は「違うんだよ」とストレートに言われたように思った。

「もっと私を信頼しなよ」と。

いろんな奉仕もそうだと思う。守りの姿勢、失敗をしないように、よりも、神様はチャレンジを喜んでくださる。問題が起こらないようにと一生懸命ガードを固めるのは、ちょうど、宝物を土の中に埋めるようなものだ。失敗してもいいから、大胆に歩む、主を信頼して、そのように歩ませていただきたい。

主よ、
あなたの大きさを信頼させてください。
あなたの豊かさ、あなたの気前のよさを信頼します。
大胆に歩む者でありますように。


明日も失敗を恐れないで大胆に歩む一日でありますように。


あなたに頂く「時間」という一ミナを、「一日」という一ミナを土の中に埋めてしまうことがありませんように。



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