2010-01-06

言い訳しない。

今日も寒いです。
夏に「あつい」って言いたくないけど暑い、っていう気持ちになることがありますが、それに近いものがあります。もう言いたくないですが、「寒い」です。
いえ、気温が低いというより、(朝が氷点下10度が珍しい訳ではないですから・・・)息をつく暇がないというか、「今日はあったかいよねえ」という日がなくて、ずっと寒い、そんな寒さに疲れ始めています。
でも、まだ、こんなもんでめげてはいけないんでしょうね。
金曜日からはまたぐっと冷え込みそうです。


金曜日の雪ですが、
降りそうですが、大したことはなさそうです。
今のところ・・・。
今、夜の12時で 3.6度。
最近の夜の中では、冷え込みの弱い方です。


さて、今日であった言葉の中で、心に残った言葉。
「言い訳はするな」。
言い訳、自己弁護、それって自分で言っていて「ああ、これは自己弁護だよな」とわかるし、言われている方もわかる。


アダムが罪を犯したときに、
神様に対して最初にしたのが、
責任転嫁であり、自己弁護だった。


そして、自己弁護は、自分がしているときに感じるよりも、
聞いている方からすると、ずっとずっと、すごい、醜い。
これによって自分の事情を相手がわかってくれるようにと自己弁護をするのだけれども、それによって「そうだったのかあ」と思われることよりも、「何を自己弁護をしているんだろうか?」と思われることの方が多い。


自己弁護はやめよう。自己弁護によって勝ち取れる信頼はない。ただ、忠実に歩んで行こう。誠実に歩んで行こう。


さて、今日の聖書。
今日はマタイによる福音書3:1-12。


「さて、エルサレム、ユダヤ全土、ヨルダン川沿いの全地域の人々がヨハネのところに出て行き、自分の罪を告白して・・・」5-6節。

ここで、神の言葉を語ったヨハネのところには、
人々が集まってきていた。
ヨハネは人々のところに入って行って、
なんとか自分のメッセージを聞いてもらおうと一生懸命に準備して、
語った訳ではなかった、

彼の厳しいメッセージを人々は聞きにきていた。

彼が人々におもねることはなく、
人々が彼のところに集まってきていたのだ。

伝道の何たるかについて考えさせられる。
ヨハネはストレートに神の言葉を語った。
それは「受け入れやすい」メッセージではない。
反対に頭にくるメッセージだった。
でも、その彼のところに人々が救いを求めてやってきていた。

私はどうだろうかと思わされた。
人におもねることをしていないだろうか?
ただ、ただ、神様の御言葉を語ることの集中しているだろうか?

主よ、
NJ日本語キリスト教会を祝福してください。
あなたを信頼して歩ませてください。
人々の耳に心地よい言葉ではなくて、
確かな神の言葉を語らせてください。
人々に聞くことよりも、
あなたに聞くことの方を、
大切にする者でありますように。



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