2009-09-17

霊的ER。

やはり牧師は自分のことに目が向くと余りよくないみたいです。
周りの人に心が向くときに、平安と力が与えられます。
そのように神様によって創られたみたいです。


午前中は久しぶりに我が家での集会。
小さな集まりだったのですが、
集った方々の内に、特別な祈りの課題を持った方が2人。
クリスチャンの方と、求道中の方。


祈り会のようでした。
霊的なER(Emergency Room)。


先日の修養会から不思議なことがたくさん起こります。
何も不思議なことではないかもしれません、
わたしたちが魂の病院としての教会を取り戻そうとするとき、
そのことを真剣に祈るときに、
主は人々を送ってくださるのだと思います。


9月15日(火)の聖書。
エレミヤ6:1-15。


「なぜなら、身分の低い者から高い者まで、みな利得をむさぼり、預言者から祭司に至るまで、みな偽りを行っているからだ。彼らは、わたしの民の傷を手軽にいやし、平安がないのに、『平安だ、平安だ』と言っている。」14節。

指導者達の責任がここで問われている。
自分の生活のことだけしか見ていない。
人々の人気しか興味がないみたい。
人々の霊的な状態には無関心。

そして、「民の傷を手軽に癒し、平安がないのに『平安だ、平安だ』と言っている。」なんて、まさに今の時代の霊的指導者達のことを言っているのではないかと思う。

おっと、他人のことだと思ったら、それはまた聖書の読み方が違う。
私はどうだろうか、私は無責任に平安を語っていないだろうか?
神の罪に対する厳しさをちゃんと語っているだろうか?
霊的に弱くなっている人々のために、
なすべきことをしているだろうか?

彼らが癒され、造りかえられるために
祈って、受け入れて、言うべきことを言って、
癒しと成長のために必死になっているだろうか?

主のために、また人々のために仕える者となりたい。

主よ、
あなたが私を仕える者として召してくださっていることに
心から感謝します。
どうか、人に仕える者にしてください。
無責任に喜ばせるのではなくて、
あなたにある、十字架にある喜びと癒しを与える者とならせてください。

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