2009-09-16

怒っても・・・。

今日の雨は本当に大したことはありませんでした。
また明日は雨の予報でしたが、
今日になって、「曇りがち」程度の予報に変わりました。
でも、肌寒い日になりそうです。


週末は晴れて暖かいようです。


「怒っても罪を犯してはならない」
これも、先日の修養会の中で開かれた聖書の言葉ですが、
私も怒りやすいです。
今夜も、ホント怒らないではいられないことがありました。


聖書が「怒ってはならない」となっていたら、どんなにか、大変かと思います。
でも、「怒っても罪を犯してはならない」だから、そうだ、と冷静にさせられます。
だんだんだんだん、冷静になって、本当に冷静な対応をすることができました。


でも、主は私のためにどんなに忍耐してくださっているんでしょうか。
それを考えるならば、自分は恥ずかしい限りです。


「怒っても罪を犯さないように」守ってください、と、
「怒っても罪を犯さないように」警告してください、と、
祈らされるばかりです。


さて、9月14日(月)の聖書。
14日はエレミヤ5:20-31でした。


「預言者は偽りの預言をし、祭司は自分かってに治め、わたしの民はそれを愛している。その末には、あなたがたは、どうするつもりだ。」31節。

預言者が偽りを語り、祭司が勝手なことをして、
それが人々を喜ばせているという。

もしかしたら、預言者も祭司も、
人々が喜ぶことをしようとしていたのではないだろうか?
人々が喜ぶことを求めていったら、
偽りの預言であり、自分勝手な礼拝となった。

今、教会もMarketplaceの論理に動かされている。
人々が喜ぶ教会、人々が居心地のいい礼拝。
それが人々を引きつけ、それがいい教会だと言われたりもする。

その偽りを見破る人もいるだろう。
そんな教会は魅力がない、と言う人もいるだろう。
でも、「私の民はそれを愛している」とあるように、
多くの人々が、それに惹きつけられている。

いつもいつも主を見上げて、主から聞いて、
主の願われることを、主が命じられることを語る者でありたいと思う。
たとえそれが人からは不評であったとしても、
主の預言者として、歩ませて頂きたい。
人の知恵ではなくて、天からの知恵を頂いて歩んでいきたい。

主よ、
いつもいつもあなたに聞く者でありますように。
あなたの語りなさい、ということを、語る者でありますように。
あなたの導きに従っていくことができますように。
自分の言葉ではなくて、あなたの語りかけを頂いて語ることができますように。

No comments:

Post a Comment