2009-05-12

不思議な人間の頭。

今日も、私の目の前では雨も降らず、いい天気でした。
ちょっと平凡すぎてお天気的には余り面白くない。


そして、ざあーっと雨が降って、芝生を潤して欲しいし、
あと、花粉もすべて流して欲しいですが、
木曜日あたりにそんな雨が降るかもしれません。
でも明日も、もう一日晴れです。
そして、今夜はまた4-5度まで下がります。


どうでもいい話題ですが、
こんな記事 がありました。


その中の問題の文章をこぴぺすると・・・。


こんちには みさなん おんげき ですか? わしたは げんき です。
この ぶんょしう は いりぎす の ケブンッリジ だがいく の けゅきんう の けっか
にんんげ は もじ を にしんき する とき 

その さしいょ と さいご の もさじえ あいてっれば
じばんゅん は めくちちゃゃ でも ちんゃと よめる という けゅきんう に もづいとて
わざと もじの じんばゅん を いかれえて あまりす。
どでうす? ちんゃと よゃちめう でしょ?
ちんゃと よためら はのんう よしろく 




だって。皆さん、よめました?

フォントに何を使うかによってとか、
字の大きさによって、微妙に違うのですが、
かなり読めちゃいますよねえ。
でも、自分で適当に文章を作っても、ここまでうまくいかないですよ。
結構考えられているのかもしれませんね。


神様が造ったわたしたちの脳にはいろいろ不思議なことが起っています・・・。


今日の集会も感謝でした。
聖書の言葉に一人一人が応答されているのに、
こころから感謝します。
お一人一人に神様の語りかけが今もありますように。


さて、今日の聖書。
今日はエペソ5:8-14


「けれども、明るみに引き出されるものは、みな、光によって明らかにされます。明らかにされたものはみな、光だからです。」13-14節。

自分のこともそうだけれども、人のことだと本当に明るみに出してはいけないのでは・・・ということがある。勿論、人間の間で「明るみに出す」ことが間違いなことはたくさんあります。でも、それと「神様の光の前に引き出す」ということが混同されることがどれほどあるでしょうか?


神様の光の前に引き出された時に、
神様の前で明るみに出された時に、
本当の光の中に引き出された時に、
それは光となる。


それはすごいことだ。
大きな励ましになった。
誰かが罪を犯している時に、
それを放っておくのではなく、
共に神様の光の前に持ち出せるように、
祈り、導いていくことの大切さを思わされました。


光の中に出される時に、それが光になるのですから。


主よ、
御言葉に感謝します。
自分の罪もそうです。光の下に持ち出すことができますように。
また誰かが明らかな罪を犯している時、
11節にあるように「明るみに出す」あなたの光の前に・・・、
その働きができますように。
そして、光に照らされたものが、今度はまた光となることを、
経験させてくださいますように。
御言葉の真実を、もう一つ教えてください。

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