外が明るくなってきましたが、
がんがん雪が降っています。
昨日は全く雪のなかった函館の街も一面の銀世界です。
無事に山形まで行けますように。
神さまってユーモアのある方だと思います。
去年の日本訪問。
その中である方を訪問する時に、
神さまに祈りました。
今日は聖書のどこを開きましょうか?と。
その中で心に浮かんできたのが、
ヨハネによる福音書4章のサマリヤの女の記事です。
サマリヤの井戸のところでイエスは休んでおられました。
そこに真っ昼間から水をくみにきた女の人が一人いました。
その女の人にイエスは話しかけて、
こんな話をしました。
「この水を飲む者はまた渇く、でも、私が与える水を飲む者は決して渇かない。
そして、その水はその人のうちで泉になり、永遠の命に至る水がわき上がる」
その聖書箇所を開きながら、
わたしたちのいろんな問題の中で、
自分の外側に自分を満たしてくれるものを求めると、
また渇いてしまいます。
でも、わたしたちの内側に泉を持つならば、
わたしたちは渇かない。
その泉をイエスは与えてくださるのです、
そんなお話しをしたのです。
お会いした方は、その泉を頂きたいと、それから教会の集まりに顔を出されました。
ちょうど時を前後して、「おいでになりませんか?」と誘われていた集会です。
その集会の名前が「泉」だったことを知ったのは、
そのあと何回かその集まりに集うようになった時だそうです。
そこに「ああ、神さまが導いてくださったんだ」と感じられて、喜んで集っておられます。
私も今回その集まりの皆さんとお会いすることができて、
共に主に感謝しました。
でも、今回の訪問でわかったもう一つの神さまのユーモア。
その集会をしているお宅の名前が「井端」さん。
わかります?
ヨハネによる福音書4章でイエスが「涸れることのない泉」の話をされたのも、
まさに「井戸端」だったんです。
ああ、神さまはここまで考えてくださったのか、と思うととても心が温かくなりました。
さて、今日、水曜日の聖書。
今日はヨハネによる福音書10章31-42節。
「ユダヤ人たちは、イエスを石打ちにしようとして、また石を取り上げた。」31節。
イエスがご自分を神とされた時に、
人々はそれを受け入れられなかった。
ほどほどのことは人に受け入れられる。
でも、ホントのことはなかなか受け入れられない。
でも、イエスはほどほどのことを言って、
人とうまくやっていこうと思われなかった。
はっきりと自分の立場、自分の役割、
自分の存在について、主張した。
それが人々を怒らせ、自分の身を危うくすることであっても、
イエスはひるむことをなさらなかった。
はっきりと語って、人々に迫られた。
反対にそれによってあぶり出されたのは、
人々の無理解と、自己中心と、
神を神としない心だった。
恐れないで語る者でありたいと思いました。
人と調子を合わせて生きていくのではなくて、
世渡り上手になるのではなくて、
ぶつかってもいい、自分の身が危うくなってもいい、
はっきりと真理を語る者でありたいと思います。
主よ、
イエスが生きられたように生きることができますように。
いつもいつも真理を語り続ける者であることができますように。
かきごおり先生
ReplyDeleteおお~~~凄い
一気に、UPが一杯ですね!!!
いい出会いが
主にあって実現されているご様子!!
これまたスゴ~~~イ ユーモアに
びっくりです\(◎o◎)/!
夫が会社の人間関係を考え始めたら寝られなかったというので
食事の時に祈り
出掛ける前に
ローマ 12:14~読んであげて送り出しました
玄関先で「呪うなんて恐ろしい~~~」と言いながら出て行きました
主よ
引き続き日本でのかきごおり先生の御用が守られますように
残りの日々をどうか、祝福し体調も守って下さいますように
ネットを通じて先生の良き伝道の様子を
お聞きできる事を感謝します
NJの留守宅も教会も守られ祝福がありますように
旧ジャージー
旧ジャージーさん、
ReplyDelete無事に東京に帰ってきました。
ホント、神さまが守り導いてくださいました。
いつもお祈りを感謝します。
ご主人様の心にも主にある平安が与えられますように。
ピリピ4章6-7節。
かきごおり先生!!
ReplyDelete昨年にお会いしたことは、生涯、忘れられないでしょう。
2月5日は、私の記念日です。(^^)
私達は、神様がお創りになっている台本どおりに生きているようです。
神様って、すごい!!!
また、いつでもいらしてください。無事にNJにお着きになるように祈っています。
サマリヤの女
サマリヤの女さん、
ReplyDeleteようこそ!
今年は本当にお世話になりました。
ありがとうございます。
泉の会の皆さんとの一時もとてもうれしかったです。
皆さんの姿に、安心して、NJに戻れます。
再会を祈りつつ。