2008-09-18

キティちゃんの逆襲。

今日はかなり暖かくなりました。
でも、今夜はそれにだまされてはいけません!
冷えます。
今、夜の12時頃ですが、12度まで下がってきています。
確実に10度は切ります。
8度くらいまでは下がります。
ですから、ほんと、暖かくしてお休みになることをお勧めします。


明日もせいぜい20度止まり。
晴れている割には肌寒い一日でしょう。


晴れ続きの1週間ですが、
この先1週間くらい天気がよいようです。
で、1週間後、来週の週末あたり、
東海岸を南から低気圧が上がってくる可能性が出てきています。
要注目です。


潤君たちが帰って1週間。
帰る前に、いろいろ家のインテリアのために、
「こんなのはどう?」と置いていってくださったり、
買ってきてくださったりしました。
たとえば、このランプ。(カメラの電池が切れて、これは携帯カメラ)
hand blown glassなんだそうです。




潤君は本当にそのようなことが大好きみたいです。
いろいろ気の利いたものを置いていってくださいました。


その一つがファミリールームの暖炉の上のスペース。
そこにはキティちゃんの時計が飾ってありました。
女の子のいる家ですからね・・・。


でも確かに暖炉の上のスペースには、ちょっと浮いているかも・・・
ということで、キティちゃんは子供部屋に行ってもらって、
そこにぴったりの額を買ってきてプレゼントしてくださったのです。


その写真がこの潤君のページの一番下にあります。


ですが、つい2、3日前に見ると、
その下に、新しいキティちゃんの忍び寄る姿が・・・。

拡大してみますね。




ほらね。


ウルトラマンのように、星飛雄馬のように、時効警察のように、
帰ってきます。


恐るべし、キティちゃん。


いつまで経ってもスマートなインテリア・・・とはならないでしょう・・・ハイ。


さて、火曜日、9月16日の聖書。
16日はサムエル第二9章。


「サウルの家の者で、まだ、だれかいないのか。私はその者に神の恵みを施したい。」3節。

この章はダビデがサウル王の一族、
特にヨナタンの家族によくしてやりたくて、
メフィボシェテを王宮に召し入れたときのことです。

ここを読みながら、いくらヨナタンのことを考えているとはいえ、
サウル王家のもの、を受け入れて、サポートしたということが、
どうしても受け入れられないと思いました。

彼はサウルによって与えられた痛みを忘れてしまったのでしょうか?
どのように乗り越えたのでしょうか?

彼の強さを思いました。
あれほどまでひどい目に遭わされて、
いのちをねらわれて、
自分は特別に敵対しているわけではないのに、
そのような扱いを受けて、
どうしてその家族を受け入れられるのだろうか?

それはやはりサウルが油注がれた者だという信仰。
それが否定されてしまったら、サウルの一族をないがしろにするならば、
自分も同じような扱いを受ける、
彼はそのことがわかっていた、
そして、本当に神さまを信頼していた。
わたしもそのような強さを与えられたいと思いました。

主よ、
あなたの選びを感謝します。
自分の選びを尊重してもらう以上に、
人の選びを尊重します。


自分の選びは振り回さない。
人の選びも信頼していくものでありますように。

2 comments:

  1. かきごおり先生、

    サムエル第二9章。目に留まったのは13節です。

    「彼は両足が共になえていた。」

    メフィボシェテのことですね。彼がダビデから恵みを受けたということで話しは終わっていいのになぁと思いました。13節の最後に敢えて付け足すように書かなくてもと。


    メフィボシェテの足が不自由になった理由を考えていました・・・。


    サムエル第二4章4節に書かれてありますね。メフィボシェテが5歳の時に、うばに抱かれて逃げる時、あまり急いで逃げたので、うばがメフィボシェテを落として、足が不自由
    になったと。

    その事実を踏まえて、今日の聖書箇所を読み直しました。

    8節「この死んだ犬のような私を・・・」メフィボシェテはほんとうに辛い日々を送っていたのですね。

    で、ダビデの恵みはアンビリーバボーです。

    J兄

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  2. J兄、

    >8節「この死んだ犬のような私を・・・」メフィボシェテはほんとうに辛い日々を送っていたのですね。

    メフィボシェテにしてみたら、お家断絶、切腹ものの立場でしょう。ホントに自分は「死んだ犬のような」という気持ちだったと思います。また、本音は無視していてくださったら、いないものとしてほおっておいてくれたら、という気持ちもあったかと思います。

    ダビデの大きさを感じると共に、「選び」を尊重するくそまじめさも感じますね。

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