2008-01-31

とうちゃく。

無事着きました!
何年ぶりでしょうか、東京の冬。
今日は冬らしい、北風の吹く、寒い日でした。
10度くらいなんですが、風のせいか、
気分のせいか、寒く感じます。
明日はもうワンランク寒くなるようです。

このあとは30日、機上でのコメント・・・。

夕方の5時。
出発してから6時間が経ちました。
そろそろ中間地点です。
だいたい、飛行機では眠れないのですが、
今日もここまでであわせて30分くらいだと思います。

今回初めて近くから出ているNewark Airport行きの
Shuttleというのを使いました。
ラクチンですね。
ちょうど子供たちが学校に行く時間帯なので、
Airportまで送ってもらうのも難しいし、
リムジンの3分の1くらいの値段ですむし・・・。

そして、着いたのは出発の3時間前。
航空会社のHPにそう書いてあったから、なんですが、
そんなに必要ありませんでした。
もう1時間ゆっくりできたかなあ、という感じです。

でも、おかげで、チェックインの時に
「席替えますか?一番前の席が空いていますよ」と言われました。
もちろんエコノミーの一番前ってことですが、
ここは前に座席がないから、足の周りがとっても広々としています。
通路側に座ったのですが、奥の方が出たい時にも、
立ち上がる必要がありません。
前の人のが席を倒して、圧迫感を感じることもありません。

すぐ前がビジネスクラスで、うらやましく思うかと思いましたが、
そんなに気になりません。

ビジネスといえば、何年か前にこの時期に日本に行った時に、
帰りの便が日本の大学生の卒業旅行らしい若者たちでいっぱいで、
ビジネスに回されたことがありますが、
その快適さと言ったら、もう空の旅のイメージが100パーセント変わってしまうモノでした。

でも、今日のこの席もいいです。

ラッキーです。

それでも、余り眠れませんが・・・。

さて、今日の聖書。
今日はルカによる福音書の9章18-27節でした。

「自分のいのちを救おうと思う者は、それを失い、わたしのために自分のいのちを失う者は、それを救うのです。」24節の言葉です。


自分を捨てる、自分の命を失う・・・ということに心が留りました。
どういうことなんだろうかと。

コロンバイン高校銃乱射事件の犠牲者レイチェル・スコットのお父さんは、
娘は文字通り、信仰ゆえに命を奪われたけれども、
ふつう、私たちはこれを「installment plan」で払っていると、言っていました。
訳すと「分割払い」。

その分割された中で大きなモノは、「プライド」なのかな、と。

屈辱的なこと、侮辱されること、
本当につらいことです。
でも、そこに捕らわれていては、
そこにこだわっていては、
主に従っている者とは言えない。

そこにこだわっていては命を得ることはできない。

そのことを痛切に感じました。

そして、自分が進んでそうすることができないから、
主はその訓練を与えられるのだと思います。
必要な訓練を与えられるのだと感じました。

「ほめられても、そしられても、悪評を受けても、好評を博しても、神の僕として自分をあらわしている。」(第2コリント6:8)と言える者となりたいと思いました。

主よ、
あなたは私のために屈辱を受けて下さいました。
人々は考えられる最大の侮辱をあなたに与えました。
そのおかげで、私は今生かされているのに、
救われているのに、
何と、自分のプライドにしがみついている者でしょうか。
どうか、あなたの足跡に従っていく者でありますように。
自分を捨てる、ということがどういうことなのか、
もっともっと経験することができますように。

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