2008-11-28

とりなし。

朝起きたら更新、宣言にもかかわらず、
もう昼になってしまいました。


昨夜は人数は決してめちゃくちゃ多くはありませんでしたが、
20人くらいの方々がおいでくださって、
その中でも、初めて我が家においでいただく方々が、5人、
また去年の今頃はお互いその存在を知らなかった方々も何人もおられて、
とても、幸いな一時でした。
去年は一つのテーブルを囲んでみんな一つのグループでいろいろ話したのですが、
今年は自然といくつものグループに分かれて、
他愛のない話も、いい話もいろいろすることができてとても気持ちのいい一時でした。


昨日の名言。

中高生や若い方々がUNOをやっているのを見たのんち、
「あ、UNOやってるんだ。盛り上がっているね。で、『大貧民』は誰?」

それゲーム違うでしょ。
この調子では20年後、30年後が思いやられます。


では、昨日の聖書。
昨日からヨハネの黙示録に入りました。
難しいところですが、「日々のみことば」のヘルプがあるのは助かります。
昨日は1章1-8節。


「イエス・キリストは私たちを愛して、その血によって私たちを罪から解き放ち、また、私たちを王国とし、ご自分の父である神のために祭司としてくださった方である。」5-6節。

私たちは祭司とされた、ということが心に留まりました。
祭司は民の側に立って「とりなし」をする人。
神さまの前に祈る人。

その使命をいただいていることを再確認しました。
祈るために招かれていることを感じました。

そして、名簿を見て、また心に浮かぶ方々の名前を一つ一つ、挙げながら祈りました。
私もこのように祈られてきた。
私もこのように祈ることをもっともっとさせて頂きたいと思いました。

神さまが「もっと祈りの世界を知ってもらいたい」と願っておられることを思わされます。
「おまえは、こんなもんだと思っているかもしれないし、自分の経験の中で教会の人々に語っているけれども、もっとすごい世界なんだぞ」と言われているように思います。

主よ、
あなたが「とりなし手」として私を招いていてくださることに、
心から感謝します。
神さま、どうか、今日も教会に連なる一人一人を、
私に出会わせてくださった一人一人をお守りくださり、
語ってくださいますように。

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