2008-11-26

ガードレールは崖ぎりぎりに造るな。

昨日、帰ってきた時は、
「ああ、寒くなってきたなあ」と思いましたが、ちょうど0度くらい。
でも、今朝はそれほど冷え込みませんでした。
逆に気温はちょっと上がったようです。
今日は穏やかな、過ごしやすい日になりそうです。


ちょっと前に、
iTunesからpodcastなるものをぼやーっと見ていたら、
カテゴリーの中に、Religion and Spiritualityなるものがありました。
日本だといろいろまた怪しいのがあるんでしょうが、
(いえ、アメリカにもたくさんありますが・・・)
こちらでは、いくつかの尊敬できるリーダーたちの語る言葉を聞くことができます。


で、Andy Stanleyの最近のものを聞いてみました。
アトランタのNorth Point Communitiy Church の牧師で、
First Baptistの良くテレビに出ているCharles Stanleyの息子です。
58年生まれなので、5つ年上。
私がアトランタからNJに移ってきて間もなく6人でスタートした教会に、
今や2万人以上が毎週通っているそうです。


もちろん、コンピューターでも聞けますが、
携帯に入れてバスに乗ったり、NYを歩きながら聞けるのが、いいですね。
コンピューターだと、その前に座っているのがちょっときついので。


”The Best Question Ever”の第3回目。 
題して「崖っぷちに生きる」。


その中で何度も彼が言っていたのが、
「ガードレールは崖っぷちに造るな」ということ。
余裕を持って、もっともっと手前に造りなさい、と。


これ以上行ったら崖に落ちる、というところに、
ガードレールを造るのは危なすぎる、
ちょっとしたトラブルで、それを超えたら落ちてしまう。
だから、ゆとりを持って崖よりもずっとこっち側にガードレールを造りなさいと。


自分はどうだろうかなあと思いました。
結構、いや、いざというときにはちゃんと踏みとどまれる、
なんて、自信過剰になっているかもしれない、と思わされました。


謙遜でありたいと思います。


さて、昨日の聖書。
昨日は詩篇の86篇1-18節。


「A father to the fatherless・・・」5節。

NIVで読んだのですが、
主の父親のない者の父親になってくださる、
宣言に心が留まりました。

誰にでも、
他の人には当たり前のように
与えられたものが与えられていない、
ということがあります。

私たちはどうしてもその「与えられなかったもの」に目がいきます。

そして、世の中は、
その「与えられなかったものに目を向けないで、与えられているものに目を向けなさい」と言います。もちろん、それも無意味ではないでしょう。

でも、主は、「私自身がそのあなたに与えられなかったものになる」と言ってくださるのです。

父親の愛を知らないで育った者には、
私が父親になる、と言ってくださる、というのです。

自分は何だろうと思いました。
自分は何を与えられなかったんだろうかと。

与えられなかったものに目を向ける、
それは今まで「そんなのは贅沢な悩み」と言われ、自分でも自分に言い聞かせ、
封印してきた心の深いところにある痛みに触れる、
そして、「与えられなかったものではなくて、与えられているものに目を向けなさい」と言われて、目を背けていたものに光を当て、
絡んでしまった糸をほどいていく、そんな時になるのではないだろうか。

そして、それをあなたに与えなかったのは、
そこに、その空洞に私が入るためだった、
と主は言われる。

パンドラの箱を開けるような怖さはあるけれども、
大丈夫、主がそこに満ちてくださると約束してくださっているから。
勇気を出して、開いてみよう。

主よ、
私に与えてくださらなかったものの故に、
心から感謝します。
そこにあなたが来てくださるから。
そこに目を留めるのは、
痛いし、悲しいし、不安だし、悔しいし、
惨めな気持ちになります。
だから、主よ、満ちあふれてください。
私が与えられなかったすべてになってください。

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