2008-11-07

聖霊さまに聞く。

昨日は夕方NYに行きましたが、
早く帰ってきました。
ダウンタウンを8時半すぎに出て、
家に着いたのが9時45分。
地下鉄も、バスもちょうどいいタイミングできてくれて、
とても効率のいい時間の流れで
とても気持ちが良かったです。


でも、裏を返せば、時間がうまくつながらないと、
イライラしてしまう自分がいます。
人とお会いしたりして、有意義な時を過ごすならば、
遅くなることはそんなに苦にはならないのですが、
乗り継ぎとかの時間がつながらないのは苦手。
未熟ですよねえ。
乗り継ぎがうまくいかない時も、
それは神さまの御手の中にあること、
忘れないでいたいと思います。


読むものとか、ちゃんと持って歩かないとダメですよね。


そう、寝過ごした時も、乗り過ごした時も、
忘れ物をした時も、
主の御手の中にある。
雨の日にも、嵐の日にも、風の日にも、雪の日にも・・・。

で、早く帰ったのですが、
いろいろあって、更新は遅れました。
なんとしてでも夜更かしはやめようということで。


今日は暖かくなる予報が出ています。
20度くらいまで上がるんだそうで。
まさに小春日和、でしょうか。


でも、明日は雨で、日月は秋らしい冷え込みになるようです。


昨日の夜、
日本のある方とのコミュニケーションの中で、
聖霊様の声を聞くことの大切さを再確認させられました。


何か耳に聞こえてくるわけでもなく、
幻が見えるわけでもありません。


あ、でも、先日、ゲストの先生にお伺いしたのですが、
その先生の恩師の牧師さんは、
どちらかというと学者肌、社会運動とかに関わる方で、
「聖霊さま」のことなんてあまり考えていなかったそうですが、
ある日、車の中で、聖霊様の炎に包まれてしまったそうです。
そして、がらっと変わってしまったそうです。
だから、そういうこともあるようです。聖霊様の勝手です。


でも、多くの場合、内なる声が聞こえてきます。
それに対して、「いいえ、わたしはこれをしたいのです」と拒否をしていると、
いつの間にか、その声が聞こえなくなってしまう。


聖霊様は悲しまれて、身を引かれるのだと思います。


わたしもそれを自覚していました。
だから、昨日の夜、そして今朝の祈りの中で、
聖霊様の内なる静かな声に従っていこうと思いました。


さて、昨日、11月6日の聖書。
昨日はピリピ人への手紙2章19-30節。


「 テモテのように私と同じ心になって、真実にあなたがたのことを心配している者は、ほかにだれもいないからです。だれもみな自分自身のことを求めるだけで、キリスト・イエスのことを求めてはいません。」20-21節。

自分は何を一番心配しているだろうかと思いました。
人々のことに心を配っているだろうか?
自分のことで精一杯になっていないだろうか。
愛を与えて頂きたいと思いました。

もっともっと人々を愛し、
人々の必要を覚え、
人々が神さまに近づいて、
祝福をいただいて、
喜びにあふれて歩むことができるようにと、
そのことを求めて、そのことを第一に求めて
歩んでいきたいと思います。

主よ、
どうか、自分のことでいっぱいいっぱいにならないで、
人々を愛し、仕える者となることができますように。
あなたの愛を与えてください。
テモテに与えてくださった愛の心を、
わたしにも与えてください。

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