2008-11-03

2つの大切な言葉。

夜になりました。
今は9時すぎですが、10度以上あります。
今夜はあまり冷えないようです。


明日からも気温は高めなのですが、
天気はちょっとどんよりで、水曜日の夜からは雨が降るようです。

1年限定で無料で見れるTV Japanですが、
1ヶ月が経ちました。
やっぱり見ちゃいますよね。
1年後、すぱっとやめるのは難しいかも・・・。
だから、プロモーションなんですよね。


相手の作戦がわかっていながら、それにまんまと引っかかってしまう自分がコワイ。


で、最近ここでやっている「斎藤さん」。
1年くらい前に日本テレビでやったドラマみたいですが、
第4回を見ました。


空気を読んでものを言う、のを期待されることに
最近めちゃくちゃ反発を覚えていましたから、
このドラマは痛快です。
でも、コワイ。
ママたちの陰口もコワイし、「そんなことして気持ちが良かった?」と聞くママさんたちののリーダー格の人の言葉もコワイ。


でも、この第4回。ほんとうに心が動かされました。
「悪いことをした時に、心が痛いでしょ、コワイでしょ、それを忘れないで。」と子どもに教えるところ。


私たちは子供たちがあんまり心が痛む経験をして欲しくなくて、
大切なところを子供たちが通ることを邪魔してきているのではないかと思いました。


私もJOYJOYに来る子供たちに、2つの大切な言葉、という話を時々します。


「ありがとう」


そして、


「ごめんなさい」


これが言える人がほんとうに勇気のある人。


でも、「ごめんなさい」も時にはインフレを起こして、
安っぽい言葉に成り下がってしまう時があります。


悪いことをした時に、
嘘をついた時に、
心が痛くなる、怖くなる、
それを深く深く感じることがなくて、
ただ、「怒られるから」だけで「ごめんなさい」を言う、
そんな子供たちになって欲しくない。
そんな大人になって欲しくない。


そして、何よりも、自分もそんな大人になっていないだろうか、
そう思います。
そして、「悔い改めるなら赦される」というのが単なる甘えになってしまって
「心が痛くなる」ということを経ないで安易に解決していることがないだろうかと、
思わされます。


イエスが十字架にかかるほどの大きな犠牲が払われた、
という事実を忘れないように・・・と思います。


さて、今日の聖書。
今日はピリピ人への手紙1章27節~2章4節。


「あなたがたは一致を保ち、同じ愛の心を持ち、心を合わせ、志を一つにしてください。」2章2節。

人が集まっている教会が一つになるってどういうことなんでしょうか?

いつの間にか考え方が同じになっている?
小さなところでは違いがあっても、大きなところでは一致できる?
適当に距離をとりながら、上手にやっていく?
誰かが強力なリーダーシップを取って、みんなが「あの人が言うなら」と思って進んでいく?
違った考え方を持った人がいなくなって、同じ考えの人だけが残る?

主の前にひれ伏して、神さまをほんとうに主として歩んでいく、
そこで、「私の夢」「私のビジョン」ではなくて、
主に従う者たちの集まりとして、一つになっていく、
それが主にある一致なんだろうなあと思います。

だから、一人一人が主の前にひれ伏しているか、
心砕かれて、自分が主人じゃなくて、神さまが主人、と言う歩みをしているか、
そこが問われているんだろうと思います。

主よ、
私はあなたを主としているでしょうか?
私が自分を主人とする時があるならば、
あなたがそれを示してください。
教えてください。
そして、あなたを主として歩んでいくことができますように。


そのような者たちの集まりである教会が、
一つになる、という奇跡を見せてください。

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