2008-11-03

「しまじろう」その後。

今朝起きたら、雨が降ったみたいですね。
気温は昨日寝る時は1-2度まで下がっていましたが、
朝起きたら6度くらいありました。


今日も暖かかったですし、
今週はずっと暖かいようです。


TOYOTAのしまじろうCMの話、
書き込みコメントはいただけませんでしたが、
実は大反響で、週末いろんな反応をいただきました。
投票結果は「だよね~」「聞こえる、聞こえる」「英語の方もそう言われれば・・・」が主流で、
「一発で聞こえた」が2票でしたが、
日曜日も「私も『しまじろう』派です」という方、
「英語一発だよ」という方、
それぞれでした。


でも、私が話題にする前に、
こんな記事が出ていました。
http://ameblo.jp/k2at/day-20081013.html
これはもうオバマ氏もびっくり、全米的な現象です。


きっと、きっと、
「隠れ『しまじろう』派」もたくさんおられると思いますよ。


分析してみると、
「しまじろう」の子音は s-m-j-r
「saved by zero」の子音は s-v-d-b-z-r

「同じなのは最初と最後だけじゃん!」と思われるかもしれませんが、
jとzはかなりにていますし、(日本語の「じ」は原則「ji」ですけど「zi」にもなりますよね)
そして、「vdb」をいっぺんに言うと「m」に聞こえるんですねこれが・・・


というのはちょっと無理がありますが、
v,dには母音がつかないので、聞こえなくなり、
たぶん、「b」も「m」もくちびるを閉じて発音するので、
兄弟みたいな関係で、似たような音になることがあります。


個人的には、「ママ」(mama)が年を取ると「ババ」(baba)になるのも同じ系列だと思っています。


まあ、もっと広い視野で物事を見るならば、
英語のwaterが「ウォーター」よりも「わら」の方が通じるという現象も、
「What time is it now?」が「ほったいもいじるな」だったり、
「どういたしまして」が「Don't touch my mustache.」だったりする現象と
共通するものがありますよね。


もっと広く考えれば、江戸っ子は「ひ」と「し」の区別ないし。


もう、収拾がつかなくなりそうなので、今日はこれくらいで・・・。

さて、昨日の聖書。
昨日(11/2)はピリピ人への手紙1章12-26節。


「それは私の切なる祈りと願いにかなっています。すなわち、どんな場合にも恥じることなく、いつものように今も大胆に語って、生きるにも死ぬにも私の身によって、キリストがあがめられることです。」20節。

「キリストがあがめられるため」
いつもいつも「私たちの生きることの目的はこれです」と言われることですが、
昨日はこの言葉がほんとうにそのように生きたいと思いました。
私の人生の目的は神さまの栄光が表れること。

神さまのすばらしさが人々にあがめられること、
人々に伝わることが私の願いです。

ほんとうにそのように思いました。
もちろん、うっかりしていると、自分が目立とうとしたり、
自分を喜ばせることを考えてしまう場面もあります。
そんな自分もまたほんとうです。

でも、神さまのすばらしさを知る人が起こされることが、
また喜びです。

昨日も、井上先生のお話をお伺いしながら、
先生をとおして、神さまのすばらしさを感じていました。

もっともっと神さまのすばらしさがあがめられますように。

主よ、
私の人生を通して、
一瞬一瞬を通して、
あなたのすばらしさを表してください。
それを喜ぶ自分でいられますように。

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