2008-07-31

11年・・・そしてこれから。

今日も暑かったです。
昨日よりも暑かったように感じました。
そして夜になっても、まだまだ。
9時をすぎて、26.6度。


明日はちょっと湿度が下がって、
朝も今朝よりは涼しいと思いますが、
昼間の気温は32度くらい。
暑い一日になりそうです。

今日は7月の最後の日。
1997年7月にJCCNJの牧師に就任して、
11年がたちました。

一区切りです。

何日か前にも書きましたが、
「今の自分がいるのは主の恵みによる」って、
牧師としての歩みを振り返ってもそうです。

やっぱり、かなり最近まで、
「自分のやったこと」「成果」にこだわっていたと思います。
それで、他の人と比べて落ち込んだり、
何か数字が出ると、傲慢になったり、
今になってみると、何を見てきたんだろうなあと思います。

子供の頃から数学が好きで、
数字で表されることの方が絶対わかりやすい、
というタイプの人間。


国語が苦手、英語が苦手、
答えが一つじゃないのが、とっても、嫌でした。
だから、国語や英語でも三択問題とかは何とか・・・という感じ。


だから、数字になって出るものがほしかったんですね。
でも、今は本当に、今ここにいること自体が、感謝。
ここに置いて頂けることが感謝。
人と出会えること、
語り合えることが感謝。


もちろん、人が目の前で、イエス様に導かれるのも感謝。
目が開かれて、「すごいですね」と感謝して歩み始めるのもうれしい。


でも、それだけじゃなくて、
私たちが痛みを覚えるときに、
それを分かち合って、共に祈り、共に歩むことができるのも感謝。
答えが出なくてもいい。
いや、答えが出てから、「実は・・・」と話してくださるのもいいけれども、
答えが出る前から、共に祈れる「兄弟姉妹」が感謝。


一歩一歩、この「兄弟姉妹」が広がって、深まっていきますように。


さて、今日の聖書。
今日はコリント人への第一の手紙15章12-34節。


「兄弟たち。私にとって、毎日が死の連続です。」31節。

復活の意味を語る中で、
パウロが自らの命がけの歩みを思いながら、言っている言葉です。
復活があるから、命もかけられる、という感じで読みました。



自分はいったい本当にこのように感じているだろうかと、思います。
命かけているだろうかと。



ホント「死」から逃げている。
元々、イエスに従う歩みは命がけだった。
今でも命がけの人々がいる。


でも、今、自分は、命かけなくても「クリスチャン」でいられる、
そんな自分たちは、大切なものを見失っていないだろうかと。

いや、命を奪われることは私たちはないかもしれない、
だから、もっと難しい。
だから、もっと妥協してしまう。

いつもいつも地上では旅人であることを忘れないで、
天を見上げながら歩むものでありたいと思います。

神様、
パウロが「私はいつも死に直面している」と言った時の信仰と、
私の今の信仰は同じでしょうか?
パウロの信仰がわかる者にしてください。
この地上ではいつもいつも旅人であることを、
忘れることがありませんように。

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