2008-04-02

NOが言える雰囲気

今日は寒かったですねえ。
昨日が暖かかったので、
今日は特別寒く感じました。
朝は3度くらい。

そして、昼間は10度くらいまではいったでしょうか、

でも、また夜になって冷えてきました。
今9時半過ぎですが3.5度。

明日の朝は氷点下でしょう。
-4度の予報が出ています。

でも、もしかしたら、ここまで冷えるのも今年は終わりかもしれません。
この先2週間の予報を見ても、
氷点下の日は明日以外には見あたりません。

明日は晴れて気温も13度くらいまで上がるようです。
朝だけは冷えますが、春らしい日になりそうです。

今日Amazonから、注文していた本が届きました。
英語の本なのですが、
「女性が牧師に知っておいてほしいこと」
「どうして男たちは教会に来ようとしないのか」
「誰も見ていない時のあなた」
そして、"Reason for God"・・・日本語にすると何だ?
「神を信じる理由」かな?

一番読みやすそう+必要・・・ということで、
早速「女性が・・・」を読み始めました。

最初の章の気づき。

「教会に来る女性は忙しい。家の中はしみ一つなく、仕事はバリバリこなし、夫は幸せで、子供たちは成績優秀で、Food Networkの番組に出るタレントのように料理をし、マーサ・スチュワートのように家の中を飾り、バービーのようなプロポーションで、セリーナ・ウィリアムズのようにテニスをして、ロティー・ムーン(中国で宣教師として働いた女性)のように伝道をする、なんてことはできるわけがあるだろうか?」

で、牧師に知っておいてほしいことは、そのような女性が考えて、祈って、「もうこれ以上は引き受けるべきではない」と教会での新しい働きを引き受けることにNOと言う時に、それは勇気がいるし、また言った後に誤った罪悪感のようなものを感じるものだから、「NOと言うことがある時には必要なのだ」ということをいつもいつも確認してほしいし、それが言えるような環境作りをしてほしい、ということだった。

そうですよね。

この「誤った罪悪感」はまずいですよね。

でも、これは女性だけに限ったことではなくて、
与えられた人間と、時間、の中で、
できることは限られている。
何を使命として、最優先にして、
何を使命ではないからと、勇気を持って「NO」と言うか、
本当に大切なことだと思いました。

それはまた、「NOと言うことによって人をがっかりさせる」ことを恐れることからの解放も意味しているんだろうと思いました。

さて、今日の聖書。
今日は出エジプト記4章18-31節。

「そこで、主はモーセを放された。彼女はそのとき割礼のゆえに「血の花婿」と言ったのである。」
(26節)

どうして、主は使命を与えて立たせたモーセを殺そうとされたのだろうか。
いつもいつも疑問に思うところ。
でも、やはり、これは息子に割礼を施していなかったことが問題だったんだろう。

そして、チッポラが割礼を施したことによって、
主は彼を赦された。

徹底的に主に従うこと、
その大切さを思わされた。

何よりも主を見つめて、主を第一として歩む者となりたいと思いました。

主よ、

人ではなく、人の反応ではなく、
あなたを見つめて歩む者でありますように。

人を恐れるのではなくて、
人を本当に愛する者とならせてください。

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