2008-02-05

つながり。

今日は朝弘前を発って、函館へ。
函館で一人の方にお会いして、夕方に東京へ。
今、夜の8時半。
盛岡駅に停車中の新幹線の中です。
函館を夕方5時前の特急に乗ると、
1回の乗り換えで東京にその日のうちに着ける。
ちょっと意外でした。

ちょっと駆け足でした。来年からはもう少し時間をかけてゆっくり回りたいです。
今日の朝、特急電車の窓から見えた津軽富士。
見事でした。感動しました。そう、人に会うのが目的なのですが、
その人々が住んでいるところについて、もっと知りたい。

そして、今まで私の働きは日本に帰られた方々を日本の教会に紹介すること、
と思っていましたし、今もそれが第一だと思っているのですが、
今回の巡回の中で、もっとこの日本に帰られた方々の歩みを知りたい、
その痛みや喜び、日々の歩みについて、
もっといろんなことを共有して、もっと、JCCNJと日本に帰られた方々の
距離を短くしたい、そんなことも思わされています。

ホンの数時間の語り合いの中でも、
何かのきっかけとなって、神様が語ってくださるようにと、
神様が答えを与えてくださるようにと、祈らされます。

自分のできることはほんの少しだと思います。
また正反対に、つまずかせてしまうこともどれだけあるだろうかと思います。
でも、昨日の聖書箇所のように、
神様から権威をいただいていることを真剣に受け取って、
いつもいつも大胆に語り続ける者でありたいと思います。

明日から金曜日までは関西です。

さて、今日の聖書。
今日はルカによる福音書の10章25-42節です。
「よきサマリヤ人」のたとえ、と、「マルタとマリヤ」のエピソードのところです。

「あなたも行って同じようにしなさい。」37節。


6時頃に目が覚めて、朝食の8時までの間、雪の降る弘前の町を見ながら、
いろんなことを思いめぐらされました。
まず、主が「あなたも行って同じようにしなさい」と、
今日、出会う方に対しても、そのようにしなさいと教えておられるように感じました。

そして、このサマリヤ人が、ユダヤ人に軽蔑されていたことを思わされ、
自分は自分を軽蔑する人に対して、そのようにできるだろうか、
そのような愛を持てるだろうかと思わされました。

愛がない自分を見せつけられた朝でした。

だから、読むたびに最後は思わされます。
いつの間にか、傲慢にも、自分は自分を「助ける側」に置いている。
でも、本当は私も、倒れて、息も絶え絶えになっている者。
そして、このサマリヤ人はイエスなんだと。

イエスの憐れみがなければ、
その犠牲がなければ、
今の私はあり得ない。
そのことをもう一度思わされました。

主よ、
このような聖書の言葉に出会うたびに、
自分の愛のなさに打ちのめされます。
心が立ちすくんでしまう、自分がいます。
どうか、あなたの愛を与えてください。
あなたがわたしのためにどれほどの愛を注がれたのか、
私の目を開いて見せてください。

No comments:

Post a Comment