2007-11-30

大丈夫。きっと。

大丈夫でしょう。日曜日の雪。
降り始めが遅くなる+最初だけちょっと雪でほとんどが雨、と読みました。

今日は寒かったですし、夜になってまた冷えています。
今1.2度ですが、この気温は数時間ほとんど変わっていません。
それは今南風が入っているからで、
明日の明け方前には北風に変わり、
それがかなり強い寒気なので、明日の明け方は-5度くらいまで下がります。

そして昼間も寒くて、3-4度止まり。

明日の夜は-10度くらいまで下がるかもしれません。
ですから、降り始めが早ければ雪なのですが、
たぶん、日曜日の午後まで降り出さないでしょう。
そのころには南風も入って、温度が上がっているので、
たぶん雨、と読みました。

って、ここに13年住んでの直感と、
(考えてみれば、日本で天気予報に凝っていたのも、
6歳から22歳なので、まあ同じくらいになってきましたね。)
コンピューターモデルを見比べて、
こんなもんかな、程度の話なんで、
全然あてにならないんですが、
あと、日曜日、ふつうに過ごせるようにという願いを込めて・・・。

ズバリ「降り出しが遅くて雨。」

あ、でも、これ、くれぐれも「山登り」「遠出」とかの参考にしないで下さいね。
これ読んで、山登って遭難した、なんて困りますから・・・そんな人いないでしょうが・・・。

さあ、どうなることか。

さて、今日の聖書。
今日はペテロ第2の手紙の3章でした。

「このように、これらのものはみな、くずれ落ちるものだとすれば、あなたがたは、どれほど聖い生き方をする敬虔な人でなければならないことでしょう。」
11節の言葉です。

どういうわけか、最近、このような聖書箇所が心に留まります。
主が語ってくださっているのだと思います。

わたしは元々、「律法的な」生き方をしてきたと思います。
どういうことかというと、「まじめにやらなければ・・・」と思って歩んできました。
でも、それはとても窮屈な生き方だったり、
人目にどう見えるかを気にする生き方でした。
「クリスチャンらしく見える」ことを大切にしてきたのだと思います。

でも、大学生の時に、キリストがわたしのために十字架にかかってくださった、
と言うことを本当に深く知り、
喜びにあふれて歩み始めました。
それまでは人目を気にして、「みんなはどう思うだろうか」を大切にして生きてきましたが、
それからは、この感謝をどのように生きようか、と思うようになりました。

でも、それまでの生き方の反動だったのだと思いますが、
「~らしく」・・・つまり「クリスチャンらしく」とか「牧師らしく」ということに
妙な反発を感じてしまっていました。

でも、ここに来て、主が「聖さ」に招いておられることを
聖書の言葉から、びんびん感じます。

特にヘブル人への手紙の12章の10節の
「 肉親の父は、しばらくの間、自分の考えに従って訓練を与えるが、たましいの父は、わたしたちの益のため、そのきよさにあずからせるために、そうされるのである。」
という言葉にものすごい魅力を感じます。
神様はご自分のHolinessを私たちにshareしようとしておられると。

だったら、本当に訓練して、聖くして頂きたいと思います。
それは誰がどう思うか以上に、
主がそこに招いてくださっているなら、
そこに行きたいと、単純に思うのです。

主よ、
どうか、わたしを聖くしてください。
あなたのご性質を、Shareしてください。
試練はそんなにうれしくないですが、
でも、必要なら、与えてください。
でも、その中でもいつもいつも、あなたを見失うことがありませんように。

日曜日、天気が守られて、
皆さんと礼拝を守ることができますように。

明日は日曜礼拝の聖書箇所、創世記3章を読みます。
日曜日からは今準備しているアドベント聖書日課で読んでいきます。
(土曜日中にはアップロードします)

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