2007-04-11

敵の方が強いから

今日も肌寒い一日でした。
今夜から明日の午前中まで雨です。
ちょっとまとまった雨になりそうです。

それから土日も雨。
雪が混じるかも・・・という予報もでています。
今日の時点で多くのコンピューターモデルが、
ニュージャージー沖に猛烈な低気圧が進んでくる、
という予報を出してきているそうです。
ちょっと心配です。

今日はNYDayだったのですが、
夕方42丁目のタイムズスクエア、
7番街を横切っていました。

42丁目がめちゃくちゃ混んでいて、
一人の婦人警官が7番街から曲がって42丁目に入ろうとする車を規制して、
曲がれないように誘導していました。

そこを無理矢理曲がろうとしたのが、大きなバス。
婦人警官はしきりに「まっすぐ行け」と合図をするのですが、
バスの運ちゃんもなんだかいろいろ叫びながら、強引に曲がろうとします。
でも、そこは婦警さんも譲らずに体を張って、「こっちには曲がれない」と
阻止しようとします。
「あのバスの運ちゃん強引だなあ」と思いながら、見ていましたが、
婦警さんの譲らず、最後はバスの運ちゃんがあきらめて、ハンドルを切り直して、
まっすぐ行きました。

思わず、婦警さんに拍手をしたくなりました。

「ダメなものはダメ」
そう言うことの大切さを最近特に思わされています。

面倒なことを避けるがあまり、
「おかしいなあ」と思うことを許してきた自分の甘さを恥じています。

このケースだと誰が見ても、バスの運ちゃんが「わがまま」で、婦警さんは「しっかりしていた」なんですが、教会の場合はなかなか難しいですよね。牧師がいつも正しいわけではない(それはよくわかります)中で、でも、どう考えてもおかしいことに関しては妥協してはいけない・・・。この婦警さんの強さを持ちたいと思いました。教会を愛し、人々を愛しているが故の強さ、を持ちたいと思いました

今日の聖書。
今日は詩篇の18篇を読みました。

「主は私の強い敵と、私を憎む者とから私を救い出された。彼らは私より強かったから。」17節の言葉です。

敵の方が強い。
なんだか、負けず嫌いの男にとってはなかなか認めたくないことです。
反対に言うと、「自分の方が弱い」ってことですから。

今日読んでいた教会のリーダーシップについての本の中で、
「(ルターが勇敢な人として引き合いに出されて)すべての人が生まれつき勇敢なわけではありません。生まれつきルターよりも気の弱い人もいます。大胆か控えめかにかかわらず、神さまは、リーダーが勇気を持ち、恐れに屈しないようにと召しておられます。恐れは現実生活の一部ですから、神さまは、私たちに聖霊をお与えになり、力を満たしてくださるのです。私たちは、その力を働かせて、恐れないようにしなければなりません。」
という文章に出会いました。

自分は弱くても、
主がおられる。
聖霊様に満たされて、
「力と愛と慎みとの霊」に満たされて、
歩むことができればと思います。

だから、いつもいつも聖霊様に満たされること、
それが大切なことなのだと。
自分の勇気を鼓舞することよりも、
「こうしなければいけない」と考えるよりも、
聖霊様に満たされることを求めることの大切さを思わされます。

主よ、
どうか私に聖霊様を与えてください。
聖霊様に満たしてください。
そして、その力によって、正しいことを正しいと、
ダメなことはダメ、と言うことのできる者とならせてください。

明日のキッズクラブもすばらしいときとなりますように。

No comments:

Post a Comment