2007-03-01

キリストに留まる

今日も暖かい一日でした。
でも、夜は雨。9時半現在、まだ大したことはありませんが、
「大雨」だそうです。

明日の昼頃までは雨が降るようです。

もう今日から3月。
暖かな日も多くなってくるでしょう。

今日、聖書を読んでいたときではなかったのですが、
心に響いてきた聖書の言葉。

「人が全世界をもうけても、自分自身を失いまたは損したら、なんの得になろうか。」
ルカ9:25

「自分自身を失う」という言葉がほんとうに心に深く深く響いてきました。
自分は今「自分自身」を失っていないだろうか、見失っていないだろうか、
主に問われたように感じました。

今、教会では教会堂のことを真剣に祈り、求めています。
でも、教会も「自分自身を失う」ということがないように、
何よりも、御言葉によって取り扱われ、
御言葉によって生かされて歩んでいくことができるようにと祈ります。

「教会の本質」を失うことがないように、祈ります。
「なくてならぬものは多くはない、いや一つだけである」とイエスが言われたように、
一生懸命な奉仕でもなく、楽しさでもなく、多くの人が集まることでもなく、
もちろん、立派な建物でもなく、
ただ、御言葉に聞き従うということが、「なくてならぬもの」として、
堅く立っていくように、祈ります。

さて、昨日(水曜日)の聖書。
ヨハネの第2の手紙です。

心に留った言葉は、
「だれでも行き過ぎをして、キリストの教えのうちにとどまらない者は、神を持っていません。その教えのうちにとどまっている者は、御父をも御子をも持っています。」9節の言葉です。

キリストの教えに留まること。
目新しいことや一般ウケしそうなことに心を奪われたり、
何か派手なことを求めたりすることでなくて、
単純に、愚直に、
キリストの教えを大胆に語っていくこと、
それが自分の使命だと思わされました。

私も人の影響を受けやすい人間です。
どこかで成功している教会の話を聞くと、
派手な、目新しいことを、
まねしたくなることもあります。

でも、
ほんとうに真実に、
単純にキリストの教えを語っていくことが
大切なのだと、
私の使命なのだと再確認させて頂きました。

教えられました。

主よ、
ただ、福音に生きる者としてください。
単純に福音を信じて、
福音を伝える者としてください。
御言葉の力をもっともっと経験させてください。
そして、御言葉によって取り扱われる方々を
次々と起してください。
transformationが一人ひとりの歩みの中に
起されていきますように。


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