2007-11-06

人が語る時と神が語る時

日曜日、1時間時計を遅らせて、
つまり体は、1時間早く起きるようになっていて、

日曜日は6時まで眠れていましたが、
月、火と5時半にはめざましなしでも目が覚めます。

朝、ゆっくり過ごせるのは、本当にいいですね。
夜は、やはり、11時、12時は当たり前なので、
朝も、いつまで続くかわかりませんが、
楽しんでいこうと思います。

今日は火曜礼拝が始まって1ヶ月。
今日、本当に久しぶりの方が来られました。
教会のニュースレターを見て、
火曜日に礼拝をやっていることを知られて、
「私はやはり聖書を開かなければダメなんです・・・」
と来られました。

私も、個人的に、いろんな方に声をかけてきましたが、
それが伝わることもあるでしょう、
人に覚えていてもらって、声をかけてもらって、
うれしくて来られる方もあるでしょう。

でも、神様が直接声をかけてくださって、
人に誘われたわけではない、
人に声をかけてもらったわけでもない、
でも、神様に導かれてこられる方もおられるですね。

その方の言葉を通して、主から励まされました。
これからも祈っていきたいと思います。

さて、今日は使徒の働きの25章を読みました。

「翌日、アグリッパとベルニケは、大いに威儀を整えて到着し・・・」
23節の言葉です。

「ユダヤ人の歓心を買おうとしたフェストは・・・」
「アグリッパ王とベルニケが、フェストに敬意を表するためにカイザリヤに来た。」
などの言葉と並んで、パウロの姿と、パウロを取り巻く権力者たちの姿が、
対照的に見えてきました。
うんざりするくらい、この権力者たちが、
人におもねたり、見栄をはったり・・・。
いつの時代も人間は本質的に変わっていない、と思います。

私はもしも、自分の生き方を、誰かに客観的に書かれたら、
どう書かれるのかと、考え込まされました。

ここに気を遣って・・・
これをうまくやろうと思って・・・
自分の力を誇示しようと・・・
そんな書かれ方をしたくない、と思いました。

本当に、真実に、主の与えてくださる使命に生かして頂きたい、
主の導きをまっすぐ見つめつつ歩んでいきたいと思いました。
その歩みを支えてくださる主に感謝しました。

主よ、
いつもあなたの導きを見せてください。
あなたの御声を聞かせてください。
人にどう見られるか、人がどのように反応するか、
それに振り回されないで、
あなたの導きに信頼して歩んでいく者であり続けることができますように。

私の弱いところに、ふれてください。
自由を与えてください。

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