2007-09-25

必要な時に必要なことが言えるか

今日も暑かったですね。
30度を超えました。

今、夜の11時前でまだ23度以上あります。
明日の朝は今朝までのように10度くらいまで下がることもなく、
18度くらいでしょうか。
明日の昼間は30度を超えるようです。

でも、それがピークで、木曜日は雷雨があって、
金曜日からはまた涼しくなるようです。

でも、例年の10月のはじめのように、
ぐっと冷え込むこともないようです。

これくらいがちょうどいいかな。

今日の午前中は
服部雄一著「ひきこもりと家族トラウマ」を読んで、
午後の集会では、
「境界線(バウンダリー)」を読んだのですが、
いろいろ考えさせられました。

両方に共通する問題・・・。

「本当の気持ちを言えない」ときに生まれてくる問題です。

傍若無人に何でも思ったことを口に出すのがいいとは思わないのですが、
思ったことが言えない関係、
特に「NO」が言えない関係は病んでいると思います。

言わせない人の問題か、言わない人の問題か・・・。

でも、私も思いました。
自分が「NO」が言えなかった経験はよく覚えている、
でも、自分が誰かに「NO」と言わせなかった経験は、
覚えていない、というか、
それよりも、そんなことに気がついていないのではないか、と。

だから、自分が気がついているよりも、
もっともっとたくさんたくさん、人にNOと言わせないようにしてきたのではないだろうかと。
そして、それが問題であること以上に、それに気がつかないで来てしまったことが問題であったのではないだろうかと。

自分の姿に気がつくのが成長の第一歩。
人が自分の領域に許可なく踏み込んできた時に、はっきりとNOといえる強さと共に、自分が無意識に人の領域に踏み込んでしまった時に、それに気がつく敏感さ、そして、それを認める勇気と謙虚さを与えてほしいと思いました。

さて、今日の聖書。
今日はヨハネによる福音書4章です。

とても好きな聖書箇所ですが、
また新しい気持ちで読みました。

「しかし、真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。」
23節です。

今日は、ここの最後のところの、
「父はこのような人々を礼拝者として求めておられます。」
ということばが特に心にとまりました。

神様は待っていてくださる。
私たちが礼拝をささげるのを、
形ではなくて、真実な礼拝をささげることを
待っていてくださる。

日々の祈りもそのような時となるように、
また日曜日の礼拝もそのような時となるように、
また10月から始めようとしている、平日の礼拝もそのような時となるように、
また日々の生活自体が、主への礼拝となるように、
いのります。

こっくりさんを呼ぶように、
霊媒師が死者を呼ぶように、
私たちの方が神様に「来てください」と呼ぶのではなくて、
神様の方が私たちを待っていてくださる。

感謝。

主よ、
あなたが待っていてくださることに感謝します。
日々の生活が、あなたと共に歩む日々でありますように。
どうか、礼拝の喜び、あなたがともにいてくださることを喜ぶ喜び、
それをもっともっと教えてください。

明日の1日もあなたへの礼拝となりますように。

明日は朝早く出て1日NYです。
一つ一つの出会いを主が祝福してくださいますように。

3 comments:

  1. 急に湿気が低くなったので
    とても涼しくなった気がします
    大変心地よいです
    NJの9月に似ているような気候になりました
    NJの大家さんとは、帰国後5年くらいは、お手紙やカードなどのお付き合いがありました
    2001年に、NYへ行った時、
    42丁目のバスターミナルからバスに乗って
    突然、大家さんの家に行ったんです
    それから、また、お付き合いが始まりました
    いつもクリスマスカードには、手書きの聖句が書き添えてあるので
    明日出す手紙に今度は私が、聖句を書こうと思っています

    先生が仰るとおり、加害者になったときのことは、気がついていないことさえあるように思います
    ああ、、、弱く、罪深いですね・・・
    こんな罪人でさえ愛してくださり、救ってくださる神様って、
    凄いお方です!!

    ヨハネ福音書4
    水汲み場のところですね

    >こっくりさんを呼ぶように、
    霊媒師が死者を呼ぶように、
    先生、笑ってはいけませんが、笑ってしまいました。ごめんなさい<(_ _)>

    教会の礼拝、賛美を通して
    神様に近づいた~~~
    感謝!!
    なんて、思っていることがよくありますが
    教会の礼拝だけでなく
    日々の生活の中での礼拝、生活の全てが礼拝でないといけないですね(上手く書けません)

    何度読んでもここが好きです
    「わたしが与える水を飲む者は、決して渇くことがない。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちに至る水がわき出る。」(新共同訳)
    今日は、新共同訳で読みました
    こんな素晴らしい水を御用意くださる
    神様に感謝です
    こんな素晴らしい水があることに
    一人でも多くの人が気がついてくれたら
    いつも御一緒にいてくださるのに
    気がつかないなんて、勿体無い話ですね

    先生の来月からの平日礼拝が
    神さまに守られ、恵みで満たされますように
    祈っております

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  2. 私は99回は相手にNoと言わせず、 あるいはNoを聞こうとせず、 1回は自分がNoと言えない賜物かと思います。 この場合、 99回のことを考えると、 何もいえない・出来ない、 あるいは、 何もしない・何も出来なくなってしまいそうです。 さて、 どうすれば良いでしょうか。 人生相談の様になってきてしまい、 すみません。

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  3. 旧ジャージーさん、

    大家さんとのおつきあい、すごい。
    去年の今頃、突然、大学時代の友人から連絡があって、とてもうれしかったですが、旧ジャージーさんはとても人を大切になさる方なんだなあと思います。

    >先生、笑ってはいけませんが、笑ってしまいました。

    あはは。そうなんです。自分でもすごい例だなあと思いながら書きましたが、でも、私が行っていたリベラルな神学校では、「世界中の霊たちよ、集まれ」というような怪しげな「礼拝」をしていました。コワイですよねえ。

    >こんな素晴らしい水を御用意くださる神様に感謝です

    私もこの聖書の箇所はとても好きです。尽きない、内側からあふれ出る水ですからね。いつもいつも主に満たして頂きたいです。


    anonymousさん、

    99回が、Noと言わせない、ということをもしも感じておられるなら、それはたぶん、半分以上問題は解決しているんでしょう。ほんとうに人の話を聞けない時は、そんな自分の姿にも気がつかないものですから・・・。

    だから、anonymousさんは、とてもよく人の話を聞かれる方なんだと思います。

    でも、「聞く」って大切ですが、また難しいことですよね。

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