2007-06-13

岩の上の蜜

今日はぐっと涼しくなりました。
ずっとNYだったので、NYのことしかわかりませんが、
どんよりとして、涼しかったです。

今夜、NJに帰っても、今、10時半で15度くらい。
あさは、12度くらいみたいです。
ちょっと極端ですね。

明日も20度くらいまでしかあがらない、涼しい日になるようです。

やはり、日曜日から暑くなるようで、
野外礼拝は暑さ対策が必要みたい。

今日、シカゴ郊外にあるウィロークリーク教会のビル・ハイベルスの「教会の再発見」を読んでいる中で、
今まで、自分は「いい人」「聖書をいいものだと思っている人々」が洗礼を受けるところまで導く、ということをしてきたように感じる。
彼がしてきたように、「無関心な人を熱烈なイエスの弟子にする」「無神論者を宣教師にする」という大胆な発想を自分はしてきただろうか、と。
そのことを祈ってきただろうかと。
つまり無神論者をゼロ、宣教師を10、洗礼を受けることを5とすると、
4から6に導けばいい、と思ってきたのではないだろうか?

大胆に求めようと思いました。
ただ、一人の人が洗礼を受けてそれだけで満足してしまうのではなく、
主に忠実な、教会を愛するキリストの弟子に育て上げさせてくださいと。

それも、必ずしも「教会の働きに理解のある人」だけではなく、
「え、この人が?」という人も主に導かれるように、祈ろうと思いました。

さて、今日の聖書。
今日も早く目が覚めた主に起されたのですが、
今日はNYに行く日だったので、シャワーを浴びたり身支度をしていたら、
6時をすぎてしまったので、教会で祈るのは断念。
代わりにバスの中で祈り、また7時半からの祈り会のあと、図書館で祈りました。


今日は詩篇の81篇を読みました。
「わたしは岩の上にできる蜜で、  あなたを満ち足らせよう。」  16節の言葉です。

最高の蜜は岩の上にできる。

ごつごつした、岩の上に。

整えられたテーブルの上ではない。
ごつごつした岩の上に最高の蜜はできる。

谷間に泉が湧くように、
岩の上に蜜ができるのだ。
それはやはり岩でなければいけない。
ふかふかのソファーであってはいけないのだ。

主が訓練を与えてくださるとは何という幸いだろうか?
私は傲慢だった。
伝道牧会がうまくいっているかのような勘違いをしていた。
いや、本当は何かが違うことはうすうす感じていた。
わかっていた。

だから、自分の責任ではある。

でも、主がこのような時を与えてくださって、
立て直しのチャンスを与えてくださっていることは、
また私自身が伝道牧会のなんたるかを学び直していることは、
本当にすばらしい恵み。

毎朝、「さあ、起きろよ、来いよ、一緒に時を過ごそう」と言ってくださる神さまがおられることに、
本当に心から愛されている喜びを覚える。

主よ、
今日の一日を感謝します。
あなたが今朝も招いてくださったことに、心から感謝します。
あなたと共に時を過ごすことのできる幸いを感謝します。
どうか、もっともっとあなたと共にある幸いを経験することができますように。

明日のJOYJOYキッズクラブでも、
大胆にあなたの愛のなんたるかを語ることができますように。

2 comments:

  1. おはようございます。
    お久しぶりです。
    岩の上の蜜。
    蜜がそのうちに降って来るだろうなんて甘いですよね?!ついつい、待ってるだけの時が多い気がします。
    自分で求めて得る事を覚えたいです。

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  2. Katiaさん、ようこそ。
    求めること、そうですね、本当に大切ですよね。
    それと共に、主が与える蜜は、私たちが「まさかこんなところに・・・」というところで与えられるのでしょうね。
    楽しみにしつつ。求めていきたいと思いました。

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