2007-06-11

主の裁き

今日はまた蒸し暑かったですねえ。
朝のうちは涼しかったですが、
午後から30度を超えて、湿度も高くなりました。

雨もパラパラしか降りませんでした。
もっと降ってくれると助かるのですが・・・。

今夜は蒸し暑い夜になっています。
今10時半前で25度あります。

でも、間もなく雨が降ってくるようです。

明日もなんだか今日と同じような天気で、
蒸し暑くて、雨も降る、そんな一日になりそうです。

今日は、朝から成分献血に行ってきました。
花粉症の季節も終わって、薬も飲んでいないので、大丈夫。
そして、今回のおまけは前立腺ガンのマーカーの血液検査付き。
それはお医者さんに行ってやってもらえばいいから、
野球のチケットとかの方がよかったのですが、
まあ、おまけですから、しょうがありません。
何かがあった場合には、ここで見つけておけば、そんな感謝なことはないわけですし・・・。

最初に問診票があって、
いろんなことを聞かれます。
一つ一つ読んでいると、「ああ、これに当てはまる人は献血はできない、できる自分は何と健康に恵まれているんだろうか」と思いました。そしていつか、この質問でひっかかって、献血できなくなる時がきっとやってくる、だから、今のうちにやっておこう、そして、できなくなった時、また自分自身がどなたかの血をいただかなければいけなくなった時に、今まで、献血をしたくてもできなかった人々の痛み、受ける側に回った時の気持ち、それを謙虚に教えてもらおう、と思いました。

ちなみに前回2月にトライした時には、上手に血管に針が入らなくて、
結局両腕ともうまくいかなかった・・・と話したのですが、
前回の記録を見て、「まあとにかくやってみましょう」ということになり、
今回は血小板1ユニット、赤血球1ユニットに挑戦。

しかし・・・
今回は20分くらい進んだ(1時間かかる中で)ところで、やっぱりアウト。
どうやら、成分を抜いてもう一度血を戻す時に、静脈がその圧力に耐えられないとか・・・。
大丈夫か、自分の血管。

コレステロール値は超優良なので、動脈硬化の心配はあまりないのですが、
静脈の根性がない・・・というのは何なんでしょうか・・・。
ということで、1時間半使って、むなしく、ジュースだけいただいて、帰ってきました。

「次回からは『whole blood』にしてね・・・」と言われました。
whole bloodだったら、もう一度戻すプロセスが必要なくなるから、
大丈夫なんでしょうね。
だから、最初に「前回はうまくいかなかったんだよねえ」と言っておいたのですが・・・。
でも、成分献血の方がずっと効率がいいみたいです。だから、成分献血を勧められるんだと思いますが・・・。

ちなみにO型の血液の不足はcritialな状態だそうです。
よろしく。

さてさて、今日の聖書。
今日は詩篇の79篇を読みました。

「主よ。あなたをそしった、そのそしりの七倍を、 私たちの隣人らの胸に返してください。」12節。

この言葉が「心に留まった」というよりは、「心に引っかかった」という感じでした。
自分はこういう風には祈れないなあ、と。
こんな風に、「7倍にして報いてください」なんて祈るなんて、とてもできません。
で、悶々としていました。
突き抜けない思いで、いました。

旧約聖書なので、イエスの「7たびを70倍するまで赦しなさい」という言葉を、知らない詩人が書いた言葉です。
だから、このような神の正しい裁きを祈る祈りが間違っていないのかも知れません。
ひどい目にあった人が、正しい裁きがなされるように祈るのは間違っていないのかも知れません。
また「自分」ではなくて、「神さま」を冒涜する人々に対してだから、こういう祈りをしていいんでしょうか?

どうなんだろうかなあ、と思って祈っていました。

その中で、どうつながるのか、まだ消化し切れていないのですが、
一つの聖書の言葉が心に響いてきました。

「絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい」

あわてて、その場所を開いてみました。

「みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。 というのは、人々が健全な教えに耳を貸そうとせず、自分につごうの良いことを言ってもらうために、気ままな願いをもって、次々に教師たちを自分たちのために寄せ集め、 真理から耳をそむけ、空想話にそれて行くような時代になるからです。 しかし、あなたは、どのような場合にも慎み、困難に耐え、伝道者として働き、自分の務めを十分に果たしなさい。」
テモテ第2の手紙の4章2-5節の言葉です。

しばらく時間をかけて消化していきたいと思いますが、
まず、自分は都合のよい話を語るのは止めよう、と思いました。
自分のつとめはそこにあると思わされました。
自分に対してもそうです。
自分に対して都合のよいところばかりを聖書の中から拾うことはすまい、と思いました。
都合の悪いことこそ、耳を傾けるべきだと。

主の裁き、正しい裁きを祈ろうと思いました。
そして、それ故に、自分も神の前に立つことができない故に、
キリストの十字架を信じることの大切さをもう一度思わされました。

主よ、
あなたの御言葉を私に語ってください。
自分に都合のいいところを拾うのではなく、
御言葉をそのまま受け取ることができますように。
そして、私が人々にとって都合のいい説教者になってしまうことがないように、守ってください。
自分の責任である、「責め、戒め、教える」ことから逃げない強さを与えてください。

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