2007-02-10

試練をこの上もない喜びとする

今日2回目の更新です。
とうとう氷点下Daysを脱出しました!
今日の最高気温は何と1.8度まで上がったのです。
でも、今午後6時過ぎですでに-3度まで下がっています。
今夜もまた厳しく冷え込みそうです。

そして、来週のstormですが、
今日の午後になってBlizzardの言葉が踊り始めました。
南にそれるのではなくて、
北に上がってくる確率の方が上がってきたからです。

いろんな天気予報のコンピューターモデルが
そろって、ニュージャージー沖で低気圧が急速に発達する予想を出してきたのです。
日本でも「爆弾低気圧」という呼び方をするようになってきていますが、
こちらでも、the storm system is exploding(低気圧が爆発する)という言い方をします。
まさにそれの可能性があります。13日から14日にかけて・・・。
両日とも教会のプログラムが入っているので、
何とか外れて欲しいのですが・・・。

さて、「証し」の第9章。

自分が偽善者だと気がついたとき、
ほんとうに落ち込みました。
自分をののしり、「おまえは偽善者だ!」と日記に書き殴りました。

子供の時から聖書を読んでいる中で、
こういうタイプの人間にはなりたくないと思っている種類の人々がいました。
それは「律法学者」であり、「パリサイ人」でした。
規則を細かく守りながら、
でも心の中は醜いものでいっぱい、
傲慢で、人を見下げている人々。
イエスも「おまえ達は白く塗った墓だ」と彼らを厳しく非難しました。

「ほんとうに嫌な連中だ!」と私は聖書を読むたびに思っていました。
でも、気がついたら自分がその偽善者になっていた。

すべてがバカらしくなりました。
聖書を読むことも、
お祈りをすることも、
奉仕をすること、
教会に行くこと、
伝道をすること
すべてがバカらしくなりました。
子供の頃から一生懸命やってきて、
それで自分が一番なりたくないような種類の人間になっていたわけですから。

そして、最後は生きていることさえもバカらしくなりました。
この後どうして生きていったらいいか?
「人間なんてみんな偽善者だ」と割り切って生きていくか、
このまま偽善を通して生きるか?

いろんな人に相談しました。
あまり相手にして頂けませんでした。
「若いっていいね」「そんなこと気にしていてはダメだよ」「君は立派だよ」

最後の期待を持って、
あの大島のキャンプ場で、自分の父親くらいの先生に話しました。
先生は私の話をしっかり聞いてくださいました。
そして、言われました。「君はほんとうに傲慢な人間だね」

さて、今日の聖書。
今日は続いてヤコブの手紙に入りました。
ヤコブの手紙の1章。

「私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。信仰がためされると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者となります。」2-4節

何といっても、最初の「試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい」という言葉があまりにも衝撃的です。試練の中で「これはすごい喜びだ」と思うなんて、そりゃないよ、と思いますが、でも、その後の続く言葉はまた魅力的な言葉です。そこで忍耐が生じる。そして成長させられるのだというのです。

信仰が試されるとき。
それは神様が私たちを試されるこの上もないチャンスなのです。
ものすごく大きなチャンスなのです。

そこで、「忍耐」ということが大切だと言います。
忍耐。できるだろうかと思います。
逃げ出したくなる方です。投げ出したくなる方です。
ほんとうに主のなさることを信頼して歩んでいきたいと思います。

主よ、
守って下さい。
忍耐を経験させて下さって、
そこで与えられる訓練、「整えられる」ということを経験させて下さいますように。
次に私に大きな試練がやってくるときに、
またこの言葉を思い出させて下さい。


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