2007-02-07

行き先を知らないで

氷点下Days 第5日目。
今朝は-10.6度C。
昼間には-3.5度Cまで上がりましたが、
もちろん氷点下脱出にはほど遠い温度。
今は夜の11時半で-8.2度です。

昨夜よりはずっとましですが、
やっぱり明日の朝は-10度以下なんでしょう。

明日も氷点下の一日となると思います。

今日は「証し」の続きを書こうと思っていたのですが、
昨日もいかにも「明日をお楽しみに・・・」という終わり方でしたしねえって教会の人たちはもう耳にたこができるくらい聞いておられるので、この後の展開も皆さんご存じなんですが・・・

ちょっとうれしいことがあったので、おあずけ。

夜にある方からお電話をいただいて、
主が心に触れて下さった、
語ってくださったことを分ち合ってくださいました。
平安が与えられたことを伝えてくださいました。

もちろん、ここに内容を書くようなことではないのですが、(そんなことしたら、誰も電話しなくなるって・・・)ほんとうに良かったなあ、と思いました。

その後、お風呂に入って・・・てあのアメリカの浅いバスタブなので、半身浴。でも、いつかいただいた入浴剤入れて、雑誌持ってゆっくり入っていました。神様に感謝しながら・・・。

そして、そこから上がろうとしたときに、
心に響いてきた言葉がありました。

「静まって、私こそ神であることを知れ」
詩篇の46篇の言葉です。

静まることの大切さ、祈ることの大切さ、主を信頼することの大切さを思わされました。
主は信頼に足る方です。
私たちが焦って八方手を尽くすよりも、
主の御業を待ち望みたいと思います。

それで、今日の聖書。
今日はヘブル人への手紙11章でした。

「信仰によって、アブラハムは、相続財産として受け取るべき地に出て行けとの召しを受けたとき、これに従い、どこに行くのかを知らないで、出て行きました。」18節の言葉です。

いやあ、どんなに不安だったことかと思います。
でも、またそれと共に、こんな大胆なことをするとは、
どれほど確信であふれていたかと思います。

そう、御言葉が語られるときに、
召しが与えられるときに、
それがどんなに突拍子もないことであっても、
それに従うのが平安なのです。

それに従わないのは、
どんなに人間的に見て、賢明なことであったとしても、
どんなに周りの人が肯定してくれても、
不安なのです。

主がそのように語ってくださったら、
そこに進んでいくことです。
行き先を知らなくても。
大体、私たちは自分の明日の命さえ分らない存在です。

ならば、誰も「行き先を知っている」という人はいないはずです。

主の御言葉を待ち望んでいきたいと思います。
主が語ってくださること、
主が私の心に、
一人ひとりの心に語ってくださることを
待ち望んで歩んでいきたいと思います。

主よ、
今日の一日に感謝します。
あなたが与えて下さった一つ一つの出会いに感謝します。
一つ一つのみことばに感謝します。
一人ひとりに語ってくださったことに感謝します。
どうか、あなたの語りかけを私に与えて下さい。
そして、一人ひとりに語ってください。

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