何か最近、夜の更新が当たり前になってしまいました。
でも、夜が一番時間がゆっくり取れるというのは確かですね。
聖書を読むのは朝なんですが、
ここにそれをアップするのは、夜の方が落ち着きます。
今朝は1.6度Cまで下がりましたが、
昼間は久しぶりの20度以上。
22.3度まで上がりました。
暖かな一日でした。
午後集会があったので、午前中は聖書を読んで、
集会の準備、日曜日の残務、
午後、集会で、帰ってきてから、もの探しと、
夕方は庭掃除・・・。
あっという間の一日でした。
明日も多分あっという間でしょう。
でも、こんな天気の時は本当に気持ちがいいですね。
なんだか、今日も花粉は大丈夫。
このまま一気に花粉の季節が終わって、
「いい天気でいいなあ」という気持ちに影を落とすものが、
なくなってくれればいいと思います。
でも、ホント、人間、つらい時の気持ちは、
つらくない時にはわからない。忘れている。
天気のことで一喜一憂するなんて、
脳天気な日々を送っている、ということなんだろうか・・・。
それとも、本当は悩むべきことを、
神様が忘れさせてくださっているのか・・・。
いずれにせよ、今日の日を感謝して過ごしたいと思いました。
与えられているものに感謝して歩みたいと思いました。
体が動くこと自体、すごい特権なんだなあ、と思います。
そんな今だからできることをしたい、させて頂きたいと思います。
今日読んだのは雅歌5-8章でした。
とっても熱い恋歌ですね。
その最後の8章7節にはこのようにあります。
「愛を支配しようと財宝などを差し出す人があれば、その人は必ずさげすまれる」
「愛を支配する」・・・そんなことを考えること自体、
おかしなことです。
愛が私たちを支配するならわかります。
でも、私たちが愛を支配しようなんて、
それもお金や財産で支配しようなんて。
それでなんか心に引っかかりました。
愛を支配する、
うーん、やっぱりなんだかよくわかりません。
でも、愛に支配される、
うん、これはしっくり来る、と思います。
それでいいんだな、と。
そう、この「愛」は神様の愛。
神様の愛に支配されている、
そうだな、と。
でも、本当にそうか?と自分の心に聞いてみたくなりました。
それこそ、自分の心、状況や環境や、
人の言葉や、人の反応にどんなに簡単に反応するか、
そう思うと、本当に自分は神様の愛に支配されているか?
それが問われているような感じがしました。
パウロはピリピ人への手紙の中で、
「私はキリストに捕らえられているから・・・」と言っています。
そう、イエスさまの愛を思うと、十字架を思うと、
ああ、そうだなあ、と思わされます。
そう、今週は受難週。
イエスの十字架の愛を思いながら、
愛に支配されているってこういうことなんだなあ、と思いながら過ごしたい、と思います。
神様、
愛を支配しようというのではなく、
愛に支配されたい、と思えることに感謝します。
あなたの愛に満たされたいです。
あなたに愛されている喜びに溢れて、
それが私の行動を支配している、
そんな日々を送りたいです。
どうか、あなたの愛を日ごとに、より深く、
今日より明日の方が、もうちょっと深く、
感じることができますように。
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